MISSON INFILTRATE
STAR TREK Next Generation
Written by ELIM
#1 プロローグ

 200X年、日本のT地方ではまだ寒い日もある4月の半ばに、クリーム色の洋式封筒が私の住むマンションの郵便受けに入っていました。封を切ってみると、ホシヤマ珈琲店アエル支店の割引券が入っています。便箋には、

「店の花瓶に活けてある枝垂れ桜がもうすぐ満開になります。見にいらっしゃいませんか?今週の火曜日、15時頃が空いていると思います。」

と、ワープロで打った文字が並んでいました。私は部屋に帰って、セクション31から支給されている薬品で手紙を溶かしてから、排水溝に流しました。

 指定された日時にホシヤマ珈琲店に行くと、枝垂れ桜の活けてある大きな花瓶の真下の席に、ボス(私の直属の上司)が座っていました。私を見つけて、手招きをしています。

私はボスの向かい側の椅子に座って、

「こんな所に呼び出すのは止めて下さい。援助交際と間違われたら、どうしてくれるんですか?」と言いました。

「私のようないい男がひっかかる女と思われるなら、めでたい事じゃないか。」すました顔で、ボスは答えます。(因みに、ボスは下膨れの顔でお腹が出ている、60歳位の男性です。ファッションセンスは有りますけどね。)

「あのですね・・・」と言いながら、私はクレーム・ブリュレと紅茶のセットを頼みました。

「それはそうと、出張手当を稼ぐ気はないかね?」唐突に、ボスは言います。

「何処へですか?またパリだといいんですけどね。ボアシエに行きたいと思っていたところです。」

「残念だが、違うな。今度の出張先は、惑星アーモンだ。」

「・・・どういう事でしょうか?」話の意外な展開に、私はついていけません。

「24世紀支部から、この時代のエージェントを派遣して欲しいという要請があったんだよ。

神経が太くて、図々しく、その筋の者とは絶対に思えないような人間を、という事だったので、君を推薦しようと思うのだが、どうかね?」

「どうしてこの時代のエージェントなのですか?あちらにも人がいないわけじゃないでしょう。」

「この惑星はプライム・ダイレクティヴの適用惑星で、21世紀の地球と同じような状況らしい。そしてあちらの世界では、艦隊関係者による適用惑星での技術流出が問題になっているらしいんだ。」

「21世紀初頭の人間なら適応し易いし、技術的な知識も殆ど無いから流出の心配も無い。という訳ですか。」

「その通り。だが、私はこれ以上の話を知らない。後は現地のエージェントに聞いてくれ。どうする、行くかね?」とボスが私に聞いたところで、私の注文したケーキセットが来ました。

「このセットを食べ終わったら、すぐに出張の支度をしますよ。」と、私は答えました。

「君ならそう言うと思っていたよ。ここのお茶代も、私が持ってあげよう。今の君の懐具合は、−20℃だろう?」とボスは言います。

「よくお分かりで。」

「良かったな。これで君の欲しがっていたアンティークのキャディスプーンも買えるぞ。」

「ボス・・・女性の私生活を調べ回るものじゃありませんよ。」紅茶を飲みながら、私は言い返しました。

「いやいや、ほんの親心だよ。君は普段の生活では抜けた所が有るからな。」

「その抜けた人間からの付け届けは如何ですか?」と言って、私は持って来た紙袋を見せました。

「何かね?」

「フレンチ・コーニッシュ・パスティですよ。お酒のあてにと思いましてね。」

「君を部下に持っていると、けったいな付け届けが貰えるから嬉しいよ。」と言って、ボスは受け取ってくれます。(前の晩の夕食に作ったすじ肉のフランス風煮込みを、冷凍庫に貯めこんであった練りパイ生地で包んで焼いただけなのですがね。)

「これは、オドーさんへのピンブローチの件に関する口止め料として受け取っておこう。」

とボスが言うので、私はぎょっとしました。

「HPを見ていらしたのですか?」とおそるおそる尋ねると、

「年寄りはネットサーフィンをしないと思ったら大間違いだよ、君。今度の行き先では、あまり問題を起こさないようにして貰いたいね。」と太い釘を打たれました。

「厳重に気を付けます。」と私は神妙に答えて、紅茶とケーキを全部食べてから、ボスと別れました。

#2 Engage!

その足で家に帰り、ショルダーバッグに「マーガレットとご主人の底抜け珍道中(望郷編)」という題名のコミック文庫と、ほうじ茶とハーブティのティーバッグを多めに入れて(宇宙船のフードディスペンサーで出したお茶の味は「最悪」です。)、S市のあるビルの地下にあるセクション31の支部に出頭しました。

そこから軌道上に待機していたタイム・シップに転送されて、出発しました。10分弱の旅の後に超空間から出た所は、月の上空でした。

チコ・クレーターのドーム都市のセクション31支部で私を待っていたのは、ソーリア人の方でした。(男性なのか女性なのか、私には分りません。)

「驚かれましたか?」と平板な声で聞いてくれます。

「驚きましたけど、一度ディノサウロイドの方に会ってみたいと思っていましたから、ちょっと嬉しいです。」と答えたら、

「いい傾向ですね。PFC支部はこちらの要望どおりの人材を送ってくれました。私はコードネームをネアク(クメールの蛇女神の名前)という者です。今回の任務を担当するエージェントへのレクチャーを担当します。」黄色の目で瞬きをせずにこちらを見つめながら自己紹介してくれました。

「初めまして、ミズ・ネアク。任務内容の説明をお願い致します。」

「貴女に与えられる任務は、プライム・ダイレクティヴ適用惑星アーモンへの潜入調査です。アーモンでは、惑星外から来た何者かが現地人に干渉をしている疑いがあります。これがアーモンので見つかりました。」と言いながら、ネアクさんは一つの箱を私に渡します。開けてみると中にはきれいな石が入っていて、手に持つとハーモニーボールのような音がしました。

「エレイニンの歌う石ですね。」

「そうです。アーモンでは絶対に存在しない筈の物です。貴女はこの石を持ち込んだ人物もしくは団体を突き止め、所在を連邦に通報して下さい。惑星アーモンの自然な発達を妨げる事態が起こっていて、緊急な処置を求められる場合には、貴女の責任において処置を実行してもよい権限を与えておきます。連絡は緊急事態に限り許可します。通信機とフェイザーとトリコーダー以外の連邦のテクノロジー産物はアーモンへの持込を禁止します。任務についての説明は以上です。質問はありますか?」

「ありません。」

「よろしい。今から貴女には、高速学習法による言語と風習の習得を終えた後で、ホロデッキを使用した適応訓練を受けて貰います。その後、ヴァルカンの調査船『トゥレイア』に便乗して、アーモンに向かいます。『トゥレイア』の乗員は、貴女の任務についてある程度の知識が有りますので、安心して過ごして下さい。しかし、余計な事は話さないように。約5日間の航宙の後、転送で惑星地表に降ります。降下地点では、アーモンに潜入して研究をしている連邦の社会学者、メネリク・クリスピン博士が待っています。博士の自宅に一泊して惑星の現在の状況をお聞きしてから、クリスピン博士が住んでいる地域国家の首都、シムーに向かって下さい。そこを基点にして調査を行い、任務を果たして下さい。任務が終了次第、周回軌道上の『トゥレイア』に連絡して、惑星地表を離れて下さい。ここまでで、分らない所は有りましたか?」

「いいえ、ありません。」

「では、これから高速学習に入ります。」と言って、ネアクさんは私の先に立ってドアへ向かいました。私も後に続きます。

「ところで、よく私が女性だとお分りになりましたね。」と、ネアクさんは話し掛けてきました。

「女性で間違い無いのですね。私みたいに性別の違うコードネームを持っていらっしゃったら、どうしようかと思っていました。」と私が言うと、

「貴女は度胸のある方ですね。今だから言いますが、あの部屋には心理スキャナーがセットされていました。私の姿を見て過剰な反応を示すようなら、不合格という事になっていたのです。全く異なる環境に行って貰うのですから、適応力がなくてはね。貴女の前に2人が不合格になっていますよ。」と、シューシュー笑い声を立てながら話してくれます。

「ここが、高速学習室です。」と言って、ネアクさんは一つのドアの前に立ちました。

ドアが開くと、透明なプラスティックの壁の中に、治療ベッドのような物と、その上に置いてあるプラスティックと金属で出来たヘルメットが見えました。酸素マスクのような物も見えます。私はCIAやKGBで行っていた洗脳実験の話を思い出して、思わず後ずさりしました。

「大丈夫です、落ち着いて下さい。」ネアクさんは私の方を振り返って言いました。

「脳にも精神にも全く影響を与えません。高速学習法は、『脳すりこみ学習法』の技術を基礎として、32年前に開発された学習法です。『脳すりこみ学習法』より時間はかかりますが、

この学習法が確立して以来、ヒューマノイド生命体で副作用が出た例は報告されていません。安心して学習ブースに入ってください。約11時間かかる予定ですので、食事やお手洗いには、今のうちに行ってきて下さい。」

「副作用無しで高速学習ができるなら、どうして普及していないのですか?」と、私は尋ねました。やはり怖い感じがしますからね。

「単にコストの問題です。貴女用のプログラムの作成と、機械の作動費用で30万クレジットもかかりましたからね。将来はもっと普及するかもしれませんが。」ネアクさんは事実を述べる口調で言うので、私は少し安心しました。

「では、お手洗いに行って、お茶を飲んでからでもいいですか?」

「構いませんよ。食堂はこちらです。」と言って、ネアクさんは再び歩き始めます。

お手洗いに行って、冷たいウーロン茶(ソーリア人にはピット器官があるので、一緒にいる時には熱い飲み物は厳禁なのです。)を飲んでから、学習ブースに入りました。

マスクから出てくるガスで意識が朦朧としているところに、知識が入って来ます。夢を見ながら考え事をしているような感じでした。どの位時間が経ったのか分らなくなった頃に、聞き覚えのある声が聞こえます。何度か同じ事を言われてから、

「ELIMさん、終了です。」と、ネアクさんが言っているのが分りました。

起き上がると、どことなく心配そうな顔でネアクさんがこちらを見ていました。

「なかなか目が覚めないので、心配しましたよ。」と言います。

「済みません、私は寝起きが悪くて。」と答えたら、いきなり全く知らない言葉で話し掛けられました。

聞いたこともない言葉なのに、「私が何を言っているのか分りますか?」という意味なのが分りました。「同じ言葉で答えて下さい。」と、更に言われます。自然に言葉が浮んできて、「はい、よく分ります。」という返事が口から出てきました。

また同じ質問を、別の聞いた事が無い言葉で言われます。私は同じ言葉で答えました。

その問答を5、6回繰り返してから、「よろしい、無事に知識は定着したようですね。」と、ネアクさんは満足そうに言いました。「最初に貴女が話した言葉がエウア語で、クリスピン博士が医師として潜入している部族の言葉です。それ以外は、シムーを中心とするツミ地方で使われている主な言語です。貴女は、村の『デイー』で、博士の娘という事になっています。戸籍、記録、旅券の類も偽造して揃えてありますので、後で見ておいて下さい。」

「済みません、『デイー』というのは何でしょうか?」と私は尋ねました。

「『デイー』とはエウア族の慣習で、村の繁栄を得るまじないとして、村の外部の者には存在を隠されている女性の事です。貴女の事を村の人間が『知らない』と言っても、『デイーだからだ。』説明すれば言い逃れが出来ますからね。貴女の代謝機能では、そろそろ空腹になった頃でしょう?今日は食事をして、休んで下さい。明日の0930時から、第2ホロデッキで適応訓練を開始します。お疲れ様でした。貴女の宿舎に案内します。」と言って、ネアクさんは歩き始めました。私もベッドから降りて、後に続きました。

「大した装置ですね、7カ国語を11時間で習得できるなんて。ついでに、遺伝コードと元素記号と数学の公式を頭に入れてもらえないでしょうか?」と、私は頼んでみました。

「貴女が1万クレジット払えるなら、プログラムを組んであげますよ。」と、ネアクさんは振り返って答えてくれます。(笑みを浮かべたソーリア人の顔は、マジで恐いです。)

「それはちょっと無理ですね、私は故郷では500円代のワインを飲んでいる人間ですから。」

「いつの時代でも、スパイの給料は安いですね。」などと与太話をしながらまた食堂へ行って、サンドイッチを食べながらネアクさんとソーリアの話をしました。(ネアクさんは、「まぶたのある種族の方は、なんだか恐そうですね。眠ってもいないのに、時々視界が暗くなるのでしょう?」と言っておられました。)その後で部屋に案内して貰って、その日は休みました。(荷物は部屋に転送してありました。)

次の朝(という事に基地で定義されている時間)、入浴してからオートミールを食べていると、「ネアクよりELIM。起きていますか?」という通信が入りました。

「はい、起きています。」

「0900時より適応訓練を始めます。迎えに行きますから、準備しておいて下さい。」と言われました。とりあえず、昨日覚えた言語の復習をしながら、時間を過ごしました。40分後にドアチャイムが鳴って、ネアクさんが迎えに来てくれました。

アーモンのツミ地方を再現したホロデッキに着くと、目の前にエウア族の衣装の入った籠が置かれていて、服の着方から適応訓練が始まりました。訓練は2、3分おきに言葉や仕草の間違いを指摘される厳しいもので、3日間続きました。エウア族は成人女性になるとズボンをはく習慣で、動きが楽だったのがまだしも救いでした。3日目の夜遅くに、やっとネアクさんから合格のお墨付きを貰えました。

「よく頑張りましたね。」とネアクさんは言ってくれました。

「明日の13:00には、『トゥレイア』が月の周回軌道上に到着します。それまでの間はリラックスして過ごして下さい。私の仕事はここまでです。任務の成功を祈ります。」そう言って、ネアクさんはホロデッキを出て行きました。私は1人で部屋に帰って、遅い夕食を取ってから休みました。次の朝は割に遅く目が覚めましたが、頭の中がまだ飽和状態でした。そこで、持って来た本を読みながらお茶を飲んで頭の中をリセットしました。

#3 ロジカルな旅路

習った事の復習と、ヴァルカンの言葉と歴史の勉強をしているうちに、時間が来ます。転送室に呼ばれて転送台に乗ると、首筋がチクチクする感じがして、まわりの景色がぼやけました。

次に景色がはっきりした時には、目の前に背が高くて無表情なヴァルカンの方が3人立っていました。私は右手をVの字にして出来るだけ厳しい顔で、「ご長寿と、ご繁栄を。」と覚えたてのヴァルカン語で言いました。中央に立っていた女性が、片眉を上げながら「ご長寿とご繁栄を。」と答えてくれます。

「『トゥレイア』へようこそ。私は艦長のトゥシェバットです。こちらが副長のスヴェイドと科学士官のソメックです。」

「ELIMです。お世話になります。」と挨拶しながら私は転送台を降りました。

「部屋に案内しましょう。」と言って、トゥシェバット艦長は歩き始めました。

「この艦の中では、自由に行動してもらって構いません。但し、プロテクトしてあるデータへのアクセスや、乗組員が制止した場所への立ち入りは禁止します。何かお困りの時は、ソメックに話して下さい。彼は『エンタープライズ』に勤務した事もあって、地球人の事は私達の中では分る方ですから。」歩きながら、艦長は話します。私は色々と聞いてみたい衝動に駆られましたが、「沈黙の掟」に引っかかるといけないので質問は控えました。

「こちらです。急な話だったのでフードディスペンサーのプログラムを地球人用に書き換えられませんでしたが、室内環境は調節しておきました。」無表情な顔で、艦長は言います。

「大丈夫です。地球料理のプログラムの入ったアイソルニア・ロッドを持っていますから。」と答えたら、皆さんで片眉を上げてくれました。

「用意がいいですね。」と、スヴェイド副長が言ってくれます。

私が部屋の中に入って荷物を置くのを確認してから、「どうぞごゆっくり。」と言って、3人のヴァルカン人たちは部屋から出て行きました。

私は本当の意味で一息つきました。高い重力と薄い空気で、息苦しかったのです。しばらく休んでから、艦の案内図を見てラウンジに行ってみることにしました。

ドアを開けると、サウナのような暑さと体の重さが襲ってきます。ラウンジまで100メートルも無い筈なのに、1時間歩いた後と同じくらい疲れました。

ラウンジに着くと、2、3人いたヴァルカン人士官達が一斉にこちらを見ましたが、すぐに自分達の話を再開しました。ヴァルカン人というのは詮索好きな人種ではないようです。とりあえず手近な席に座ってしばらくじっとしていました。息が切れてしまったからです。テーブルに上半身を預けて休んでいると、

「体調が悪いのですか?」と声をかけられました。

起き上がってみると、ヴァルカン人の女性が私の右側に立っています。

「私はヒーラーのトゥ・リーです。体に変調を来たしているのなら、医療室へ行きましょう。」心配している口調なのに、顔にも声にも感情が表れないのは、ちょっと異質な感じがします。

「いえ、大丈夫です。疲れただけですから。」と、私は答えました。

「貴女がこんなに早く艦内を歩き回るとは思っていませんでした。1.2時間後に貴女の健康診断を始める予定でしたが、いい機会です。この場で問診をしても宜しいですか?」と、ヒーラーは聞きます。

「何か飲んでからでいいですか?喉が渇いてしまって。」

「構いません。」と言ってくれたので、私はのろのろとフードディスペンサーまで歩きました。「コンピューター、飲み物の一覧を出して下さい。」と言ったら、画面に沢山のヴァルカン文字が並びました。どうしようかと思っていると、「ヴァルカン語が読めませんか?」と言いながらトゥ・リー女史が来てくれました。

「済みません、『立入禁止』と『危険』しか勉強して来ませんでした。」

「貴女に与えられた短い学習時間を考えると、適切な選択でしたね。『フェルシュ・トの水』は如何ですか?」

「ヴァルカン科学アカデミーのある場所ですね。お願い致します。」

「温度はどうしますか?」

「セルシウス温度で5℃にして下さい。」と言ったら、

「そんなに冷たい水を摂取したら、体に悪影響があると思いますが。」と言われてしまいました。

「大丈夫です。我々の食習慣では、0℃の水を口にすることも珍しくありません。これは本当の話なのですが、10代後半から25℃以下の温度の食物しか摂取しなかった人物が、85歳まで生きた例も有ります。たまに冷たい物を摂取するだけなら、90歳までは生きられると思いますよ。」

「そのような食生活をしているから、地球人は寿命が短いのかもしれませんね。しかし、興味深いお話です。問診が終ったら、その方の話をして頂けませんか?」トゥ・リー女史は言います。

私が水を飲み終わった途端に、問診が始まりました。「通常の脈拍数は?」「血圧は?」

「アレルギーは有りますか?」・・・等々、21世紀の医師が尋ねるのと大して変らない質問ばかりでしたが、かなり詳細に聞かれたので、40分位かかりました。空気の薄いサウナにいるようなものなので、ものすごく体力を消耗します。しかし、40分耐え忍んだ結果として得られたのは、「貴女はヴァルカン人の基準では虚弱体質ですが、地球人としては標準でしょうね。」という一言でした。

「さて、冷たい物ばかり食べて85歳まで生きた方の話をして下さいませんか?」とヒーラーが言うので、

「詳しい臨床データが無い時代の話なのです。その方はシラセ・ノブという名前で、私の時代から200年位前の軍人でした。シラセ氏は極地探検を生涯の望みとしていて、寒冷地での生活に適応する為に、10代後半から意図的に温度の高い食物を口にしなかったそうです。実際に極地探検を成し遂げた後もその食生活を続けて、85歳まで生きたと聞いております。」ここまで言ったところで、暑さと息苦しさで頭がクラクラしてきました。

「暑気あたりなさったようですね。部屋に帰りましょう。」トゥ・リー女史は私を部屋まで送って、トライオックスを飲ませてくれました。

「艦内を歩く時には、必ずヒートシンク・スーツを着るようにして下さい。」トリコーダーで私の体をスキャンしながら、ヒーラーは言います。

「はい、分りました。」

「それから2日後の1400時には、貴女の整形手術をしますので、準備しておいて下さい。」

「どのような準備をすれば宜しいのですか?」

「入浴して、リラックスしていて下されば結構です。」と言って、ヒーラーは部屋から出て行きました。

すっかり疲れてしまったので、そのまま仮眠を取りました。ぐっすり眠って目が覚めると、1930時になっています。夕食にカジキのソテーとご飯と味噌汁を食べて、お茶を飲んでいるところで、ドアチャイムが鳴りました。

「どちら様ですか?」

「ソメックと妻のトゥアイムヌーです。」

「はい、ただ今お開けします。」自動ドアが開くと、先ほどの科学士官の方と、見知らぬヴァルカン人女性が立っています。

「どうぞお入りください。」と言って部屋の中に案内し、椅子を勧めました。

私も向かい側の椅子に腰を下ろして、水をお出ししてから「さて、どういったご用件でしょうか?」と尋ねると、「貴女さえ宜しければ『ハナフダ』をしようと思って、お伺いしました。」「・・・・。」

あまりに予想外の返答だったので、一瞬思考回路が止まりました。

「・・どういう事でしょうか?」

「貴女は21世紀の地球からいらっしゃった方です。未来の異星人の航宙艦に乗り込んだ場合、かなりのストレスを受けているものと私は推測しました。ストレスを適度に解消する為のレクリエーションとして、日本に伝わっている遊びを行うのが論理的と私は考えます。いかがですか?」

「お気遣い下さって、有難う御座います。コンピューター検索をして下さったのですね。

私をリラックスさせる為に、同性の奥様を連れて来て下さったのでしょう?」

「その通りです。」

「お気持は有り難いのですが、私は花札のやり方を知らないのです。」と答えたら、ソメック氏は無表情にこちらを見つめながら、

「日本では一般的な遊びと聞いていたのですが。」と言います。

「そうかも知れませんが、私は遊んだ事がないのです。しかし、いい機会ですから教えて下さいませんか?」

「分りました。」

「その合間に差し支えの無い範囲でヴァルカンのお話をして下さると、嬉しいのですが。」

「なるべくご要望に沿いましょう。」

かくして、正真正銘の日本人がヴァルカン人に花札を教わるというちょっと異常な事態が始まりました。

最初は、絵札の説明です。「この5枚が20点の札、この9枚が10点の札です。5点札はこの10枚です。・・・」

「酸素が濃すぎて苦しくありませんか?」と私が尋ねると、

「この部屋を訪問する前にヒーラーに処置を受けてきたので、問題はありません。」とソメックさんは言います。

「出来役という制度がありまして、ある組み合わせの札を集めると高得点が得られます。点数は、・・・・」と、トゥアイムヌーさんが説明してくれます。

「ところでこの艦の名前は、スラックのお母様の名前ですね。ヴァルカンでは、艦に歴史上の人物の名前を付けるのが習慣なのですか?」

「そうです。ヴァルカン船籍の艦には、歴史上の人物の名前を付けるのが慣習になっています。地球では、名詞を使ったりもするようですね。」

「私の国では、公用の艦の名前に地名や人名や名詞を使います。アメリカでは軍艦には州の名前、イギリスでは抽象名詞、ドイツやイタリアでは、ヴァルカンと同じ様に歴史上の人物名を使うのが慣例だそうです。一般の船は別のようですがね。」私は、記憶をたぐりながら答えました。

「競技の方法は、親と呼ばれるゲームを取り仕切る人物を決める事から始めます。その方法は・・」と言うソメックさんに、

「質問をしても宜しいですか?」と、私は尋ねました。

「貴方は『エンタープライズ』に勤務なさっておられたそうですね。どんな艦でしたか?差し支えなければ、教えて頂きたいのですが。」

「そうですね、」ソメックさんは考えながら話し始めました。

「『エンタープライズ』は気温が低くて空気が濃すぎる艦でしたが、クルーは良いネハウ(直感的な印象)を持っていました。特に理解しやすい人格を持っていたのは、データ少佐でした。ピカード艦長もヴァルカン的な要素を多く持っていて、働きやすい環境でした。

異星人のクルー達の感情に振り回されることも有りましたが。トゥポルやスポックの偉大さがよく分りました。」

「大変だった事と思います。以前私は、ヴァルカン人の植物学者の方を病院から引き取る任務をした事があったのですが、地球人に混じるとヴァルカンの方はかなり目立ちますからね。」

「病院?体調を崩したのですか?」

「いえ実は、精神状態を疑われての収容でして・・・」

「あなた方は感情で生きている部分が多いですからね。さて、実際のゲームしながら学習しましょうか?」

2時間ほどゲームをしてから、ソメックさんとトゥアイムヌーさんを送り出しました。

パジャマに着替えてから、何かBGMをかけて眠ろうと思って音楽ファイルを色々と流してみましたが、今一つしっくりきません。ファイル名を見てみると、「シカール大学におけるスポック大使のクシア哲学についての講義」というのがあったので、最低ボリュームで流してベッドに入りました。

訳の分らないヴァルカン語で、難しい哲学の講義を、スポック大使のあの厳しい無表情な声で話しているので、思ったとおり5分で熟睡する事ができました。

突然の通信パネルの呼び出し音で目が覚めました。クロノメーターを見ると、まだ0615時です。「トゥシェバットよりELIM。応答願います。」

「はい、ELIMです。」

「朝食をご一緒しませんか?その後で、ホロデッキにご案内しようと思っているのですが。」

「15分後でも宜しいでしょうか?」と私が言うと、

「申し訳有りません、まだ就寝中でしたか。では、15分後にラウンジで会いましょう。通信終了。」とトゥシェバット艦長は言いました。

私は大急ぎで身支度をして、ラウンジへ向かいました。

ヴァルカンの朝日に合わせた少し眩しい位の照明の下で、トゥシェバット艦長とスヴェイド副長がテーブルに着いていました。ラウンジに入ってきた私を見つけると、席から立ち上がって迎えて下さったので、恐縮してしまいます。

「おはよう御座います(Good Morning)、艦長、副長。」と挨拶したら、

「通常の朝です、ELIMさん。」という返事が返ってきて、流石はヴァルカン人だな、と感心させられました。

「ヒートシンクスーツを着ておられますね。」スヴェイド副長が念を押します。

「はい、ヴァルカンの気温は私には暑すぎるようですので。何かお勧めのメニューは有りませんか?」と言いながら、私は席に着きました。

「貴女の事を殆ど知らないので、何を勧めていいのか分りません。」

「済みません、質問を変えます。貴女方のお好みの朝食メニューは何ですか?」と聞いたら、

「私達と同じ物を食べるつもりなのですか?」と言われました。ヴァルカン人の表情は読めませんが、驚いているようです。

「何故そんなに驚かれるのですか?折角異星の文化に触れる機会が有るのですから、有効に活用しようと思っただけなのですが。」

「私は、地球人というのは食物に関しては保守的な種族と考えていました。これまでに会った地球人はそうでしたから。特に貴女は過去の方ですから、その傾向が強いと予測していたのです。」トゥシェバット艦長は言いました。

「宜しければ、是非ヴァルカン料理を味わってみたいのですが。」重ねて言うと、

「貴女にとっては不快な料理かもしれませんが、お試し下さい。」とスヴェイド副長が言いました。

「私達は、朝食にはヴァルカン原産の穀物『ティク』で出来たパンかシリアルと『ミント』という飲み物、『プロミーク・スープ』と果物を何種類か、それに乳製品を食べるのが普通です。しかし地球人は、『プロミーク・スープ』を見ただけで嫌がっていました。」

「嫌かどうかは、食べてみてから決める事にしています。」

「では、フードディスペンサーに注文しましょう。」と言って、トゥシェバット艦長は立ち上がりました。

「とりあえず、私と同じ物で宜しいですか?」と聞きます。

「はい、お願い致します。」

「トゥシェバット3を2つ。」と注文すると、「ティク」のお粥とチーズ、「プロミーク・スープ」と2種類の果物、そして「ミント」のセットが出てきました。先に出てきた方を、艦長は私に渡してくれます。この暑い中で、熱いメニューがあるのにはげんなりしましたが、仕方がありません。(ヴァルカン人の基準では「快適な気温」なのですから。)

スヴェイド副長も自分の朝食をフードディスペンサーから出して、席に着きました。

「いただきます。」と言ったら、2人とも不思議そうな顔をするので、

「食物や料理した人やごちそうして下さる方への感謝を表す言葉なのです。」と説明しました。

「どうぞ召し上がって下さい。」

私は「プロミーク・スープ」から試してみる事にしました。2人のヴァルカン人がじっと見ています。少し苦味と酸味が有りますが、地球の野菜スープと似た味です。強いて言えば、色々な野菜の入ったカルド・ヴェルデ(ポルトガル風じゃがいもとキャベツのスープ)という感じでした。

「面白い味ですね。」と感想を言いました。

「気に入って頂けて良かった。」トゥシェバット艦長は僅かに安心したような表情を浮かべました。

「艦長が今までに会われた地球人は、きっと見た目で拒絶反応を示したのでしょう。しかし、私の国では似たような外見のもずくという食物があるので、そんなに抵抗が無いのです。」

「忌憚のない意見を言わせて貰っても宜しいですか?」スヴェイド副長が言います。

「何でしょうか?」

「我々の文化においては、虚勢を張るのは非論理的な事とされます。ストレスを感じていらっしゃるなら、ヒーラ−にカウンセリングを受けて解消して下さい。このままでは任務に支障を来たします。」

「私はそんなにストレスを感じている訳ではありません。」と言ったのですが、

「ソメックからは、貴女が平静を装っているものと思われるという報告を受けています。

自分の世界と全く違う環境で長時間過ごしているので、強度のストレスを感じているだろうというのが、彼の推測です。」

「何と言いますか・・・」私は自分の心理状態の説明を始めました。

「今の私は、『周りで起こっている事態が許容範囲を超えた』状態なのです。ですから数百年後の世界に来て、異星人の航宙船に乗っているのですが、地球の裏側の国に来ているのと同じ程度のストレスしか感じていません。多分事態が飲み込める頃には、帰途に着いているでしょう。いえ、ある面では外国にいるよりストレスが少ないと感じています。」

「それを聞いて安心しました。しかし、何故『トゥレイア』にいるとストレスが少ないのですか?」

「ここでは、『訳の分らない事態』に遭遇する事は絶対に無いと思えるからです。」

「その通りです。この艦内では、全ての事柄が論理的に執り行われます。貴女にとって理解できない事態が生じた場合には、説明を求めて下さい。可能な限り理解出来るように説明致します。」スヴェイド副長は言いました。

「有難う御座います。」私は食事を再開しました。

「質問をしても宜しいですか?」トゥシェバット艦長が口を開きました。

「はい、どうぞ。」

「貴女はクシア哲学についての講義を聴いておられたようですが、興味が有るのですか?」最小のボリュームで流していたのに、聞こえていたようです。

「はい、興味は有るのですが、難しい話だった上に、疲れていたので途中で眠ってしまいました。」(この状況で、「睡眠薬代わりに聞いていた」と言える度胸は私には有りませんでした。)

「感心致しました。私は貴女ほど向学心旺盛な地球人に会った事が有りません。任務前で心身共に疲労している状態なのに、ヴァルカン哲学の学習に挑戦するとは。宜しい、私は毎日2200時には時間が空きます。その後1時間を、貴女へのクシア哲学の学習時間に充てる事にしましょう。」と艦長は言いました。私は(うわ〜!)と思いましたが、平静を装って、

「しかし、艦長の貴重なプライベートタイムを裂かせる訳にはいきません。学習は自分で行う事に致しますから。」と丁重にお断りしたのですが、

「いえ、構いません。ヴァルカン人はスタミナがある種族ですからね。

それにヴァルカンでは、向学心がある人物に学習の機会を与えないのは罪悪と見なされるのです。」と仰るので、

「それでは、お言葉に甘えてお願い致します。」と返事をするしかありませんでした。

スヴェイド副長に目を転じると、私の手をじっと見ています。

「済みません、指輪をして朝食に出るのは、ヴァルカンでは失礼に当たりましたか?

地球の礼儀では正式な食事会に出る時は着飾る習慣なので、そうしたのですが。」

「お気になさらないで下さい。その指輪は地球の植物をモチーフにした物だろうかと思って見ていただけです。」

「恐らく、マーガレットという花をモチーフにして作った物だと思います。」と答えると副長は頷いて、

「実にデリケートですね。実は私の妻が園芸植物の改良を手がけていまして、地球の植物はとてもデリケートで美しいと言っていたのを思い出したのです。」

「そうでしたか。」

「しかし、地球とヴァルカンでは気候が違いすぎて育たないだろうとも言っていましたが。」

「そんな事は無いと思いますよ。私は地球の植物がヴァルカンで育ったという話を聞いた事がありますから。」と言うと、2人とも片眉を上げました。

「そんな論文は読んだ事が有りませんが。」と艦長は言います。

「論文にはなっていないでしょう。私はアマンダ・グレイソンが自宅の庭で地球の植物を栽培していたという話を資料で読んだ事があるのです。」

「知りませんでした。具体的には、どのような植物ですか?」スヴェイド副長が聞きます。

「私が確認できたのは、トマトとバラでした。日本の植物ならフジアザミなどがヴァルカンの気候に適していると思います。しかし、ちょっとデリケートさに欠けますね・・」

私は少し考えてから、「そうだ、ヴァルカンにぴったりの植物を思いつきましたよ。」と言いました。

「何でしょうか?」

「スピニフェックスです。オーストラリアの砂漠の植物ですよ。砂漠の原産ですから強い日差しにも暑さにも強いし、瑞々しい美しさを持つ花が咲きます。」

「興味深いお話です。開花時期はいつなのでしょうか?」

「それが、雨が降った日の数日後なのですよ。上手く世話をすれば、一年中咲くのではないかと思います。」

「貴重なお話を有難う御座いました。早速妻に伝えます。」

その後も「なごやかな」会話が続きました。私が料理やお菓子に関心があるのを知ると、艦長は「ヒーラーのトゥ・リーが『余暇の論理の鍛錬』で各地の食文化の研究をしています。」と教えてくれました。

食事が終ると、急な用件が出来た艦長に代わって、副長がホロデッキへ案内してくれます。

「連邦軍から、貴女の為のホロデッキプログラムが送られて来ています。それを利用して、適応訓練をなさって下さい。」それだけ言うと、副長は足早に歩み去りました。

その後私は、4時間かけて適応訓練ホロ・プログラムによる訓練をしてから、再びラウンジへ向かいました。しばらく考えてから、アイソルニア・ロッドをフードディスペンサーのスロットに入れて、

「ホットケーキとグレープフルーツ・ジュース、それとプレーンヨーグルトをお願いします。」と、注文します。

メープルシロップとたっぷりのバターを付けて食べていると、

「失礼ですが、それはどのような材料を使った料理でしょうか?」と、見知らぬヴァルカン人士官に尋ねられました。

「これは、無精卵と牛乳と小麦粉を使った料理です。その他の料理も、動物を殺して得た食材ではありませんので、安心なさって下さい。この艦にいる間は、公共の場所であなた方が不快になるような料理を食べるつもりはありません。」

「その方の言う通りですよ、スターン中尉。それらの料理には、我々の戒律に抵触する食材は使われていません。」と言いながら、トゥ・リー女史が入って来ます。

「失礼致しました。」と言って、スターン中尉は自分の席に戻りました。

「有難う御座いました、ヒーラー。」

「事実を述べただけです。ところで、艦長から貴女に渡すように頼まれた物が有ります。」ヒーラーは1本のアイソルニア・ロッドを取り出しました。

「何でしょうか?」

「クシア哲学の入門書の日本語訳です。50ページまで予習しておいて下さいと、艦長が言っておられました。」

「分りました、勉強しておきます。私も貴女にお会いしたいと思っていたのです。」

「体調が悪いのですか?」

「体は順調ですが、やはり違う環境でストレスが溜まるらしくて・・・」

「カウンセリングが必要ですか?」ヒーラーは聞きます。

「いえ、ストレス自体は大した事は無いと思いますが、食欲が亢進してしまいまして。

このままでは体重が増えてしまいそうなのです。何か食欲を抑える方法は有りませんか?」

「やはり脳の疲労を取って、ストレスを軽減するしかないでしょうね。我々には『世間話』をする習慣は無いのですが、出来るだけ貴女の話し相手になりましょう。」

と、ヒーラーは言ってくれました。

「貴女の『余暇の論理の鍛錬』である、食文化の研究についてお聞かせ願えませんか?」

と頼むと、ロミュラン料理とヴァルカン料理の共通点や、珪素生物の食材の調理法や、高温の惑星における味付けの共通点などについて話してくれました。

意外だったのは、トゥ・リー女史が、

「私が食文化の研究を始めたのは、地球の料理の本がきっかけでした。」と言った事です。

「どういう事でしょうか?差し支えなければ、教えて下さいませんか?」

「あれは私が6歳の時でした。図書館で地球の料理の本を見る機会がありまして、ラザニアという食べ物が目に止まりました。幼い私には大変美味しそうに見えて、作り方を調べたのが私の食文化研究の始まりだったのです。」

「そうでしたか。」

「しかし、私達には食べられない食材を使っていると知って、落胆しましたが。」

「貴女方に食べられるラザニアも有りますよ。」と私が言うと、

「本当ですか?」と、興味を示してくれました。

「はい、動物性の食材は牛乳しか使っていない、ベジタリアンラザニアという物が有ります。」

「プログラムを持っていらしたら、是非貸して頂きたいのですが。」

「申し訳有りませんが、プログラムは持っていません。しかし、レシピは持っています。キッチンをお貸し頂けるなら、作って差し上げられますよ。」

「貴女も食文化の研究をしておられるのですか?」と、ヒーラーに聞かれます。

「そうではないのですが。私の時代では、料理の技術はありふれたものなのです。」

「では、キッチンにご案内します。」ヴァルカン人は、何事もすぐに実行する性質のようです。

トゥ・リー女史に連れられて艦のキッチンへ行き、必要な材料をフードディスペンサーから出して、料理が始まりました。(度量衡が違うので、換算にちょっと苦労しました。)

「牛乳が400cc、バターが30g、薄力粉が・・・」とブツブツ言っていると、

「地球人には直観記憶力は無いと聞いていましたが、間違いのようですね。」後ろで見ていたトゥ・リー女史が言います。

「いいえ、大抵の地球人には直観記憶力は有りません。これは私の作ったレシピですから、暗記しているだけです。ただし、ごく稀に『完璧な』記憶力を持つ人がいて、そういう方は苦労していますよ。」

「記憶力が良いのに、何故苦労するのですか?」

「貴女方と違って、地球人は『記憶力のコントロール』が上手な種族ではありません。

『完璧な』記憶力を持った人は、どんな些細な事でも頭に入って忘れられないし、話している内容などが過去の記憶と結びついてしまって、スムーズな会話も出来ないのです。」

私はホワイトソースを作りながら説明しました。(勿論、使ったブイヨンキューブはヴァルカン製のベジタリアンブイヨンです。)

ホワイトソースを作った鍋を洗ってトマトソースを作り、いよいよラザニアを器の中に組み立てる段階に入りました。

トマトソースを器に敷いてラザニアを並べると、

「ラザニアを茹でなくてもいいのですか?」と聞かれます。

「茹でなくても、低温で長めに焼けば火が通りますよ。」

「論理的ですね。」

一番上にパン粉とチーズを散らして、オーブンに入れます。

「これで、後は1時間待つだけです。」

「そうですか。しかし、これは量が多いですね。」と、ヒーラーは言いました。

「お友達を誘ってみたら如何ですか?」

「そうしましょう。トゥ・リーより艦長。」と、通信バッジに触れてトゥ・リー女史は話し始めました。

「こちらトゥシェバット。どうしましたか?」

「ELIMさんが21世紀の料理を再現して下さいました。1430時には完成します。支障が無ければ試食会を開いてはどうかと思いまして、ご連絡致しました。」

「我々に食べられる料理なのですか?」

「全く問題ありません。」

「では、試食会を開きましょう。」その直後に、全艦放送が流れました。

「艦長より全クルーへ。ゲストのELIMさんが、21世紀の料理を再現して下さいました。1435時より、ラウンジにて試食会を行います。時間の余裕と興味があるクルーは、参加して下さい。」話がどんどん大きくなるので、びっくりしてしまいます。

ラザニアが出来上がるのを、クシア哲学の予習をしながら待ちました。トゥ・リー女史にも教えて貰ったのですが、私には概念すら無い単語がゾロゾロと出てきて、なかなか進みません。これは、午後の残りの時間を勉強に費やすしかないと決意しました。

ラザニアをオーブンから出して、ヒーラーと一緒にラウンジへ行くと、6人のヴァルカン人士官が待っていました。お皿と食器も用意してあります。

ラザニアをテーブルに置き、一人一人に取り分けると、皆さんは黙ってテーブルに持っていって、座っています。

「どうぞ召し上がって下さい。」と私が言うと、初めて食べ始めました。

トゥ・リー女史は黙々と最後まで食べてから、「実に興味深い味です。」と言ってくれます。

他のヴァルカン人の方々も、色々と質問してきます。

「ボロネーズソースに似ていますが、動物性の食材は使っていないのですか?」とか、

「地球人は動物性の食材を好む種族と聞いていましたが、何故このようなメニューが有るのですか?」という質問もあって、返事に困りました。

トゥ・リー女史からは、

「地球のある宗教の聖職者は、ニンニクやニラを食べてはいけない事になっていると聞きましたが、どうしてですか?」という質問が有りました。

「貴女方に一番分りやすい表現を使うと、『ポン・ファーを誘発する食材』と考えられていたからです。」と答えると、

「それは非論理的です。自分のポン・ファーを制御出来ない人物が、人を導く聖職者を務める事など出来ないでしょう。」と、ヒーラーは言います。

「私もそう思わないでもないのですが、そういう決まりになってしまっているのです。」

「変革は行われていないのですか?」近くのテーブルに座っていたヴァルカン人女性士官が聞いてきます。

「最近は、僧侶も色々な物を食べるようにはなってきているようですがね。しかし地球では、宗教には食事制限がつき物みたいな所がありまして・・・」

「具体的には?」と、今度は別の方に聞かれます。説明しているうちに、全員を巻き込んだ宗教と食事についての討論会になってしまって、それが30分続きました。論理の鍛錬を積んだヴァルカンの方々との討論はハードでしたが、率直な意見が聞けたのは良かったです。討論が終って解散する時に、皆さんが「大変有意義な時間を過ごさせて頂きました。」と挨拶してくれたのも、嬉しく思いました。器や食器を片付けてラウンジを出ようとすると、「ELIMさん。」と、トゥ・リー女史に呼び止められます。

「何でしょうか?」

「宜しければ、21世紀の地球の食文化について聞き取り調査をさせて頂きたいのです。

時間を取って頂けないでしょうか?」

「勿論、構いませんよ。私も宜しければ、ヴァルカンや他の惑星の料理やお菓子の事も聞かせて頂きたいのですが。」

「いいですよ。実際に作って差し上げても構いません。」

「是非お願いします。明日の1400時頃ではどうですか?」

「その時間にラウンジでお待ちしています。」と言って、ヒーラーはラウンジから出て行きました。

私も部屋に帰って、一心不乱にクシア哲学の予習に励みました。5分に1回はコンピューターに分らない所を尋ねないといけませんでしたが。

指示されたページまで予習が終った時には、2020時になっていました。頭が飽和状態で、暑い場所で食事をしたくない気分だったので部屋で夕食を摂り、アーモンの言語と風習の勉強をしながら、2200時を待ちました。

 2200時ちょうどに、ドアチャイムが鳴りました。

「はい、ただ今お開けします。」ドアを開けると、トゥシェバット艦長が立っています。

「学習を始めましょう。予習は順調に進みましたか?」と言いながら、艦長は部屋に入りました。

「はい、指示されたページまで、何とか終っています。」椅子に座った艦長に水をお出しして席に着くと(ヴァルカンでは、来客があると最初に飲み物をお出しする事になっているのです。)、授業が始まりました。授業は大変濃厚なもので、1時間みっちりと質疑応答が続きました。艦長を送り出した時には心身共に疲れていて、おかげでぐっすり眠れました。

 次の朝は、アラームをかけていたので0600時には起きられました。その日はソメック夫妻が一緒に朝食を摂ってくれましたが、それ以外は昨日と変らないタイムスケジュールで過ごしました。実践を伴う食文化研究(ヒーラーが作ってくれたロミュラン料理は、スゴい味でした。)と、クシア哲学の学習はハードでしたが、ヴァルカンの方々が話し掛けてくれるようになったのを嬉しく思いました。

 3日目の1400時には、整形手術です。鏡に映った自分の顔を見て、私は仰天しました。

まるで肉色のスイカなのです!

顔の側面、額、頭髪の中まで縦の隆起が走っています。髪と肌の色は元のままなのですが、目は紫色に変えられていました。

「少し驚きましたね、アーモン人の外見の予備知識が有りませんでしたから。」

私は鏡を見ながらヒーラーに言いました。

「連邦軍情報部からの情報によると、これが平均的なアーモン人の顔だそうです。」

「平均的、それは困りましたね。」と私が言うと、

「何故でしょうか。」真面目な顔で、ヒーラーは聞いてきました。

「多くのヒューマノイド社会で、その時代の平均的な顔立ちの方が美しいと見なされるという話を聞いています。たくさんの殿方に声をかけられて、仕事にならないという事態にならなければいいのですが。」

「それなら、もう少し顔に手を入れましょうか?」ヴァルカン人には冗談が通じない事を忘れていました。ジョークだと説明して分って貰うのに、3分かかりましたよ。

その後2日も、ホロデッキでの訓練と、キッチンでの実験と、クシア哲学の学習で明け暮れました。意外にも毎日の試食会でヴァルカン人に喜ばれたのはお菓子類で、特に黒蜜やきな粉を使った物が好評でした。(わらび餅や豆かんや杏仁豆腐を、ヴァルカン人は「常温で」食べるのです。)

#4 上陸です。

 私にとっては短いようで長かった5日間が過ぎて、いよいよ上陸前の最終医療チェックの時間が来ました。

「健康状態に問題は有りませんね。」ヒーラーは言います。

「緊張していますか?」

「少し緊張していますが、21世紀の地球と似たような惑星だと聞いていますから。」

「貴女とある程度親しくなりましたから正直に言いますが、貴女が鯨食民族の出身だと資料で読んだので、残酷な人間ではないかと懸念していたのです。全くの思い違いでしたが。」

「何を残酷とするかは、文化によって違います。その点については帰ってからお話したいと思いますが、とりあえず鯨食民として言っておきたい事があります。私たちが食べたせいで、クジラの数が激減した訳ではないのですよ。」

「そうなのですか。その点についても、帰って来てからお話しましょう。では、第2転送室に出頭して下さい。」

着替えてから転送室に行くと、ソメックさんとトゥシェバット艦長が待っていました。

「準備はいいですか?」ソメックさんが転送パネルの前に立って聞きます。

「いつでも大丈夫です。」

「お気をつけて。」と、艦長が言ってくれました。

「任務の成功と貴女のご無事を祈っています。では、転送します。」

周りがぼやけて、首筋がチクチクしてきます。次に景色がはっきりした時には、辺りが真っ暗で、驚きました。

空を見ると、地球のものより少し小さい満月と三日月が出ています。ヴァルカン船の少し明るすぎる照明に慣れていたせいで、実際より暗く思えたようです。

トリコーダーで現在位置を確認し、ランデブーポイントに向かいました。森の中の広場に近づくと、懐中電灯らしい明かりが見えます。明かりが近づいてきて、私と同じような外見の中年男性が姿を表しました。

「お母さんの名前は?」認証暗号を言うので、クリスピン博士だと分りました。

「シバの女王です。」私も認証暗号を答えました。

「連邦のエージェントの方ですね、お疲れ様です。」と言って、博士は握手してくれます。

「今日は我が家に泊まって下さい。妻も連邦の人間ですから、ご心配なく。しかし私は村の医師という事になっています。急患が来るかもしれませんので、そのつもりでいて下さい。では、ご案内します。」クリスピン博士は、歩き始めました。

「貴方にとっては300年前の別世界にタイムスリップしているようなものですから、大変でしょうね。」

「とんでもない、楽しいですよ。こんな機会はめったにありませんしね。」

「奇遇ですね、私も今回の任務を楽しいと思っている部分があるのです。タイムトラベルした上に、異星で長期間過ごせるのですからね。」

「気が合いそうですね。任務が終ったら、家で打ち上げパーティをしましょう。いい地酒が有りますよ。今日はミーティングがありますから、お茶にしますけどね。」

「楽しみにしています。」と話しているうちに、クリスピン博士の自宅に着きました。

「いらっしゃい、遠い所を大変でしたね。」やっぱり肉色のスイカみたいな顔をした奥様が出迎えてくれます。この方は赤紫色の目をしていました。

「お世話になります。奥様も大変でしょうね。」

「いえ、私も楽しいのよ。社会学者ですし。この人がエチルアルコールをたくさん飲むのだけが心配の種ですよ。」と言いながら、椅子を勧めてくれます。

「仕方がないだろう、合成アルコールの無い世界なんだからな。」博士はお茶を淹れてくれました。飲んでみると、果物の味と香りがします。

「美味しいですね。」

「この辺りで摂れるイチゴに似た果物を使ったお茶です。エウア族は薬草や毛皮を売って生計を立てている種族です。彼らのテリトリーにはここにしかない薬草が多く生えているので、大変豊かな暮しをしています。」

「そうですか。」

「この辺りには薬草の仲買人がよく来ていますし、エウア族自身も街にでて薬草を売ったりしているので、貴女がシムーにいても怪しまれる事は無いと思いますよ。しかし、あまり街についての知識を見せない方が安全だと思います。貴女は『デイー』という設定になっていますしね。」

「分りました、気をつけます。」

「それと、シムーに行ったらお茶に気をつけて下さい。強烈な幻覚作用と依存性がある麻薬が、お茶として飲まれているらしいのです。」

「それは、いつ頃からですか?」

「半年位前からだと思います。エウア族は薬に詳しいので、麻薬に手を出したりする者はいないのですが、薬の恐さを知らない近隣の部族の者がシムーで麻薬を覚えてきて、身を滅ぼしたりしているようです。」

その後2時間位ツミ地方の現状についての説明を受けてから、休みました。

次の朝、日が昇る前に、列車の駅があるヤコン村に向かって出発しました。地球の照葉樹に似た木が生い茂る山道を、ひたすら歩きます。山の中の広場で、奥様が持たせてくれたお弁当を1人で食べて、またひたすら歩きます。

 午後遅くに、辺りに木がまばらになって、幾つかの建物が見えて来ました。

#5 ファースト・コンタクト

 村の入り口が見えてきました。「ヤコン村」と、5つの言語で書いてある境界石の土台に、8歳くらいの女の子が座っています。泣きながらビーズ細工をしているのです。

「お嬢ちゃん。」と、私が声を掛けると、その子は顔を上げました。

「ここはヤコン村ですよね。シムーへ行く列車の時間を知りませんか?」

その子は涙を拭いて、「今日はもう無いよ。」と、答えました。

「では、泊まれる所は有りませんか?」

「宿屋が一軒だけ有るわ。案内しましょうか?」と言って、その子は立ち上がりました。

「お願いします。」と私が答えると、先に立って歩きます。

しばらく歩いたところで、

「お嬢ちゃんは何ていう名前ですか?」と尋ねると、

「ルグレよ。」という返事が返ってきました。

「ルグレさんですか。私はエル(これが、私の旅券に書いてある偽名です。)と言います。

良かったら、どうして泣いていたのか話してくれませんか?少しは気が楽になるかもしれませんよ。」と言ってみます。

「気が楽になっても、どうにもならないの。明日になったら、これを売らなきゃいけないから。」と言ってルグレちゃんは、腕にはめた薄いピンク色の玉を連ねたブレスレットを見せてくれました。

「死んだお父さんの作ってくれた物だから売りたくないんだけど、売らないと学校の授業料が払えないの。」ルグレちゃんは、大粒の涙を浮かべました。

「ルグレさん、宿に行く前に貴女のお家に連れて行って下さいませんか?」と頼んだら、

「いいけど。」ルグレちゃんは、不思議そうな顔をしました。

5分位歩くと、小さな家に着きました。かなり疲れた顔をした女性が出迎えてくれます。

「どうしたの、ルグレ?その人は?」

「通りすがりの旅人ですが、ルグレさんから話を聞いたのです。あのブレスレットを売られるそうですね。」

「そうです。そうしなければ授業料が払えないので。」空ろな顔で、その女性は言います。

「あまり価値がある物とも思えないのですが、何方が何の目的で買われるのですか?」

「何でも町でこれを使ったアクセサリーが流行っているとかで、この地方の人ではないらしい、おかしな訛りのある仲買人が大量に買い付けに来るようになりました。」

「それはいつ頃からですか?」さらに私は尋ねました。

「半年位前からです。」

「いくら位で買い付けているのですか?」

「一粒につき30カイ(日本円で180円位)で買って行きますが。」ルグレちゃんのお母様は、不審そうな顔で答えます。

「私がルグレさんの腕輪を一粒につき45カイで買いましょう、ですから、」

「施しは受けたくありません!」お母様は、厳しい表情で言いました。

「そんなプライドを傷つける事は致しません。私はルグレさんの腕輪を買います。そして、

明日この村を出るまでの間のガイドをお願いしたいのです。確か学校はお休みでしょう?その結果に満足した場合だけ、この腕輪を報酬としてルグレさんに支払いましょう。それでは駄目ですか?」

ルグレちゃんのお母様は表情を和らげて、

「そういう事なら、是非お願いします。」と言ってくれました。

「じゃ、これお姉ちゃんに渡すわね。」ルグレちゃんはブレスレットを外します。

「着けていていいんですよ、明後日には貴女の物になる筈ですから。」と言ったのですが、

「お姉ちゃんが結果に満足したら、でしょう?まだ私の物になると決まったわけじゃないわ。」と言うので、受け取りました。一粒につき45カイとして、18粒分810カイを支払います。

「有難う御座いました。宿まで荷物を持つわね。」と言って、ルグレちゃんは私の手から荷物を取って背負いました。

「結構重いですよ。」

「大丈夫、私は畑仕事で鍛えているから。じゃ、行って来ます。」ルグレちゃんは歩き出しました。私は、ルグレちゃんのブレスレットだけを持って後に続く事になります。

持ってみると、かなり軽いのです。

「これは、何で出来ているのですか?」と尋ねると、

「イロンという木のヤニを固めて削って作るの。子供のおもちゃにしかならないわ。」という返事が返ってきました。

「綺麗で軽いから、確かに都会で人気が出るかもしれませんね。」

「都会の人って、安い物が好きなの?」と言いながら、ルグレちゃんは休まずにビーズ細工を作りつづけています。

「さっきも作っていましたね。そんなに好きなんですか?」

「確かに好きだけど、これは友達の注文なのよ。」ルグレちゃんは作りかけのビーズ細工を見せてくれました。かなり複雑な編み方をした、配色も綺麗な飾り帯です。

「貴女は器用ですね。お小遣い稼ぎですか?」

「ううん、生活費稼ぎなの。貰ったお金は、みんなお母さんに渡しているわ。」

「そうですか、親孝行ですね。」と言いながら、私は考えを巡らせました。

「ねえエルお姉ちゃん、どうして私みたいな子供に丁寧な言葉を使ってくれるの?」

と、ルグレちゃんに聞かれました。

「私は貴女の部族の言葉は、この話し方しか知らないのです。村から出るのもこれが始めてですしね。」と答えながら、報告書を書く時にその中で一言文句を言ってやろうと思いました。

「着いたわ。ここが宿屋さんよ。」ルグレちゃんが指差したのは、漆喰で壁を白く塗った2階建ての建物です。

中に入って私が宿帳を書いている間も、ルグレちゃんはビーズ細工を続けました。私が宿帳に連絡先を書き終わる直前に、「出来た!」という声がしたので振り返ると、ルグレちゃんは完成した飾り帯を嬉しそうに掲げています。

「良かったですね。それをお友達に届けて来たらどうですか?」

「でも、お姉ちゃんの荷物を部屋に入れて、村を案内しないと。」ルグレちゃんは困った顔をしました。

「先に契約した人を優先した方がいいですよ。お友達だって、早く見たいでしょうしね。お友達の所から帰って来たら、村を案内して下さい。私はそれまで荷物の整理をしていますから。」

「じゃ、お姉ちゃんの荷物をお部屋に入れたら行ってくるわね。」と、ルグレちゃんは言って、宿の人の後についてトコトコと階段を上りました。

 ルグレちゃんが友達の所へ出掛けると、私は人がいないのを確認してから、トリコーダーを眼鏡に仕込んだモニターに接続して、走査結果が眼鏡を通して見えるようにしました。

宿の人が出してくれたお茶とお菓子を食べていると、ルグレちゃんが帰って来ました。

「ただいま、お姉ちゃん!」

「お帰りなさい、お友達も喜んだでしょう?」

「うん、『ルグレは腕がいい』って言ってくれたわ。」ルグレちゃんのお腹が鳴りました。

「良かったですね。ところで、このお茶とお菓子は私には量が多いです。半分手伝ってくれませんか?」と尋ねると、

「いいの?」遠慮勝ちにルグレちゃんは聞きます。

「勿論ですよ、済みません、もう一つカップをお願いします。」

ルグレちゃんはマドレーヌに似たお菓子を美味しそうに食べ始めました。

「エルお姉ちゃん、どこを案内したらいいですか?」

「とりあえず、村を一回りしてみたいですね。それからコンピューターネットが使える所と、本屋さんに行きたいです。」

「分ったわ。」

「ゆっくり食べていいですよ。」と言ったのですが、ルグレちゃんは大急ぎで食べて、村の中を案内してくれました。村の中では、異星人の痕跡は特に見つかりません。

「この建物の中に、お祭りに使う道具が収めてあるの。」ルグレちゃんは一生懸命説明してくれます。

「ルグレさん、おかしな訛りのある仲買人がイロンの玉を買っているってお母様が仰っていましたよね。どんな訛りなのか、ちょっと聞かせてくれませんか?」

「どうして?」ルグレちゃんは怪訝な顔をしました。

「私の知っている言葉かもしれないと思って。単なる好奇心ですよ。」

「いいけど。」と言って、ルグレちゃんは仲買人の喋り方を真似してくれました。

「どこかで聞いた事があるような気がするのですが、分りませんね。」

「私には全然分んないわ。この辺の言葉じゃないもの。」

「ラジオか何かで聞いた事があるのかも知れませんね。」と私は言って、再びルグレちゃんに村の案内をして貰いました。しかし、あの言葉の訛りが心に引っかかっています。どこかで聞いた事があるのです。それがどうしても思い出せません。

小さな村なので、30分程で一回りしてしまいました。結局、異星人の痕跡は見つからずじまいです。ルグレちゃんは村の公民館に連れて行ってくれて、そこでコンピューターネット検索をしました。過去1年間位の新聞記事の検索をすると、クリスピン博士の言った通り、6か月位前から新種の悪質なドラッグの記事が有ります。この村におかしな仲買人が来始めた時期とも一致するし、樹脂というのは香料や麻薬によく使われる原料です。

念のために、有機化学の研究機関のデータベースに潜り込んでイロンの樹脂について調べたのですが、どう加工しても麻薬になりそうな成分は入っていないとの結果が出ました。

推測が外れてがっかりしたのですが、ついでにこの星の手工芸品について調べてから、公民館を後にしました。次にルグレちゃんに村で1軒しかない本屋さんに案内して貰って、お目当ての本を探します。ボビンレースに似たこの星の工芸品、リクージの入門書は、一番上の本棚に入っていました。しばらく読んでからその本を買って、店を出ます。

「ねえ、ルグレさん、」と、私は言いました。

「この本に出ているレースがあまり綺麗だったからつい買ってしまったのですが、私にはこの言葉は読めないのです。作ってみたいのですが、読んでくれませんか?」

「お姉ちゃんも結構行き当たりばったりなのね。」とルグレちゃんは言って、本を開きました。

「えーと、『リクージは大変歴史のある工芸品です。かつては王侯貴族にしか使用を許されなかった物で、今でも有名な作家の物は高額で取引されています。』ですって。とっても綺麗だから、それも当然かもね。」

「作るのには、どういう道具が必要なのですか?」

「待ち針と、ボードと、糸とロッドですって。待ち針と糸はお母さんがお裁縫をしているから貰って来られるし、板は大工さんに言って切って貰えるわ。でも、ロッドはこの村には無いわね・・・」ルグレちゃんは思案顔です。

「木の棒を短く切って作ればいいんじゃないでしょうか?」と、私が助け舟を出すと、

「本当だ、無い時は木の棒を切って作るって書いてあるわ。」

(勿論、私は全部読めるのです。)それからルグレちゃんと一緒に、村を回って材料の買出しをしました。宿に帰って、小学校の図工の時間みたいにロッドを削り、リクージの製作にかかりました。

「お姉ちゃん、違うわ。そこはねじるのよ。」

「そうですか?済みません。」(私は編物関係には弱いです。)

時々注意されながら、黙々とロッドを操って編み続けます。

「どうしても学校に行かなきゃならないかなあ。」ロッドを動かしながら、ルグレちゃんは言いました。

「お母さんの負担になっているみたいだから、行かないで済むなら行きたくないんだけど。」

「学校は嫌いですか?」

「ううん、勉強も嫌いじゃないし、友達がいるから楽しいわ。」

「じゃあ、行った方がいいですよ。」と、私は答えます。

「楽しいからだけじゃなく、いずれそれがお母様の為にもなりますよ。」

「どうして?」

「外国の言葉を勉強しておけば、お母様が病気になった時に外国の薬を説明書の指示通りに飲ませて助けられるかもしれませんし、算数の勉強のおかげで、買い物をしてちゃんとお釣りが来たかどうか分るのですよ。社会科の勉強をすれば、村の外でどういう物が流行しているか分ってお母様がよく売れる服を作れますし、理科の勉強の応用で、もっと鮮やかな染物も出来るようになります。」

「ふ〜ん、そういうものなの。」ルグレちゃんは納得がいかないようです。

「それに、学校に行く事で身につく一番大切な物は、『考える力』ですよ。」

「考える力?」

「そうですよ。例えば、この本を見てこんな風に考える事も出来ます。これはとても綺麗だから、高い値段で売れるかもしれない、貴女のお母様の仕立物で出来る、余り切れと糸でお友達のイニシャルを作って縫い付けたハンカチを作れば、貴女の鉛筆代位になるかもしれない、町から来る行商人にもっと手の込んだ細工のリクージを買って貰えれば、生活費も随分助かるかも知れない、とかね。」

「お姉ちゃんって、凄いわね。どうしたらそんな事を考えつくの?」

「貴女より長い間学校に行ったからですよ。」

「そうか、そんな事を考えられるようになるなら、学校に行くわ。」私が意図したのとは違う所で、ルグレちゃんは納得してくれました。

それから2時間位かかって、イニシャルを象った小さなリクージが大体形になりました。

「今日は遅くなりましたから、もういいですよ。明日仕上げをしましょう。何時に来てくれますか?」

「3時30分頃でどう?(アーモンの時計は6時間で一回りするので、地球時間の午前7時頃に相当します。)5時には列車が出るから、それに間に合うようにしないと。」

「分りました、それまでに朝食を済ませておきますね。じゃあ、お家まで送りましょう。」

と言ったら、

「お客様にそんな事させられないわ。この村は安全だから、1人で帰れるし。また明日ね、エルお姉ちゃん。」と答えて、ルグレちゃんは元気に帰って行きました。

 私はする事が無くなってしまったので、食堂に下りていって夕食にしました。

その夜のディナーセットは、粉を練った物をちぎって茹でた物の上に、炒めた肉と野菜を乗せたタプと、この星の鶏に似た家禽で取った透明なスープのコー、麦茶のようなダイ茶でした。

それから部屋に帰って、ベッドの中でリクージの入門書を全部読んでから休みました。

(ルグレちゃんに本が読めるとバレてしまうので、リクージの続きを作る訳にもいきませんし。)私は賑やかな街中に住んでいる人間なので、静か過ぎてなかなか寝付けませんでしたが、いつの間にか眠ってしまいました。

 次の朝は、うるさい位の鳥の声で目が覚めました。時計を見るとまだ1時40分(地球時間の5時50分位)でしたが、起きる事にしました。

 食堂を覗いてみると、もう他の泊り客が食事をしています。この地方の朝は早いです。

私も中に入って、朝食にしました。大きなお好み焼きのような料理と、スープが朝食のセットでした。朝食を食べ終わってから、4時頃にお茶とお菓子を持ってきてくれるように食堂の女性コックさんに頼んでおきました。

「おはよう、お姉ちゃん!」ルグレちゃんは時間どおりに来ました。

「じゃ、仕上げと糸の始末を教えるわね。」ルグレちゃんは本を読みながら、てきぱきと教えてくれます。20分位で、私とルグレちゃんのイニシャルを象ったリクージが完成しました。

「とっても綺麗ね。」ルグレちゃんの作った物は、初めてとは思えない位上手に出来ています。(私の作品の出来は聞かないで下さい。)

「そうですね、ルグレさん。ちょっとお願いがあるのですが。」と、私は言いました。

「なあに?」

「お互いの作ったリクージを、記念に交換して持っていませんか?私のは下手で恥ずかしいのですが。」

「そんな事ないわ。お姉ちゃんのだって、初めてにしては上出来よ。そうしましょう。」

「有難う御座います。ついでに、もう一つお願いしていいですか?私はこれからシムーに行くのですが、この本は旅行中に持って歩くには少し重いです。私が帰るまで預かって貰えないでしょうか?その間、いくら読んでも構いませんよ。」

「いいの?」ルグレちゃんは目を輝かせました。

「勿論ですよ。本だって、一生懸命読んでくれる人のいる所に有る方が嬉しいでしょうからね。」

「有難う!大事に預かっておくわね。」そこで、ノックの音が聞こえました。

ドアを開けると、お茶とお菓子をトレーに乗せたコックさんが立っています。

「有難う御座います。」と言ってトレーを受け取り、

「ルグレさん、リクージの講習料ですよ。」と言って、テーブルに乗せました。

「でも、これじゃ多すぎるわ。」

「そんな事は有りませんよ。私が頼んだのはガイドだけなのですから、これは別料金で支払わなければいけないのです。それに、私の食べる分も有りますしね。付き合って下さい。」

「それなら、頂くわ。」と言って、ルグレちゃんは椅子に座ります。

ちょっと早めのお茶会が始まりました。

「エルお姉ちゃん、お母さんは時間が有るなら家に寄って欲しいって言っているんだけど、大丈夫?」

「勿論構いませんよ。お茶を飲み終わって、チェックアウトしてから行きましょう。」何の用なのかは分りませんでしたが、とにかくそう答えます。

お菓子を食べ終わって、チェックアウトしてから、私達はルグレちゃんの家に向かいました。ルグレちゃんの家の前に着いた時に、

「はい、ガイド料ですよ。とても満足しましたからね。」と言って、ルグレちゃんにブレスレットを返しました。

「お姉ちゃん、有難う!一生忘れないわ。お母さ〜ん!」と言って、ルグレちゃんは家の中に走って入りました。しばらくして、ルグレちゃんのお母さんが出てきました。私に深々とお辞儀をしてから、

「ルグレに親切にして下さいまして、有難う御座いました。あの子は大人みたいに扱ってくれて、とても親切にしてくれたと、とても喜んでいます。粗末な物で恥ずかしいのですが、お礼をさせて下さい。」と仰って、小さな匂い袋をくれました。

「粗末だなんてとんでもない。出来る限りの事をして下さっているじゃありませんか。有難う御座います。大事にさせて頂きますからね。」とお礼を言って、頂きました。

ルグレちゃんも、家から出てきました。

「お姉ちゃん、これあげる!」と言って、イロンの玉を4つ皮ひもに通したペンダントを見せてくれます。

「しかし、それはお父様の形見でしょう?」

「いいの、お姉ちゃんがいなかったら全部無くなっちゃったんだもの。」ルグレちゃんは、ペンダントを私の首にかけてくれました。

「有難う御座います。」と言って、私は受け取りました。

ルグレちゃん母子は私を駅まで送ってくれて、列車が発車する時間まで手を振ってくれました。

#6 調査開始!

 それから4時間、私は列車に揺られていました。シムーの中央駅に着いた時には腰が痛くなっていましたが、観光案内所の椅子に座って宿泊施設を手配しなければいけません。

案内所の係の方に、

「値段がそんなに高くなくて、料理が美味しくて、コンピューター・ネットが使えて、こぎれいなお宿は有りませんか?贅沢は言いませんが。」と言ったら、

「そこまで贅沢を言えば充分でしょうが。」という返事が返ってきました。

「じゃあ、最後の条件を外したら、有りますか?」

係のおじさんはニッコリ笑って、

「実はね、あんたが最初に言った通りの宿があるんだよ。ルテのペンションだ。場所はここ。繁華街から外れているが、おかみさんがとってもいい人だよ。」と言って、地図を見せてくれます。私はそこに泊まる事にして、予約の電話を入れて貰いました。

地下鉄とバスを乗り継いで、ペンションに向かいます。道行く人の雰囲気は何となくせわしなくて、私は東京やニューヨークを思い出しました。

ペンションの入り口にたどり着いて、私はドアチャイムを鳴らしました。

「いらっしゃいませ!」上品な老婦人が出迎えてくれます。

「予約していたエルです。お世話になります。」

「ようこそ。こちらへお座りになって、宿帳を書いて下さいな。」

私はサンルームのテーブルに案内して貰って、宿帳を書きました。

「貴女はエウア族の方なの?それなら族長の住所も書いてくださいね。何かあったら、まず族長に連絡するのが慣習なのでしょう?」ルテさんは、私の名前と住所を見て言います。

「その事なのですがね、ルテさん。」私はペンを置いて言いました。

「族長に私の事を言っても、多分知らないと言う筈です。私は『デイー』ですからね。表向きは村にいない事になっているのです。今回も族長に頼み込んで、村の外に出る許可を貰ったのですよ。何かあったと知れれば、もう出して貰えなくなるでしょう。ですから、私の両親に連絡してもらえませんか?」

「まあ、そうだったの。貴女も大変ねえ。分りました、そうしますよ。」

チェックインも滞りなく終わり、私は部屋に案内して貰って荷物の整理をしました。

その後で、コンピューター・ネットを使い、手工芸品の技術指導と販売を行って、貧困層の生活支援をしている良心的なボランティア団体を探し、住所を控えました。

その住所に、リクージの買い取りと技術指導を依頼する手紙を書き、ルグレちゃんの作ったリクージを同封して、差出人にルグレちゃんの家の住所を書きました。(ルグレちゃんの家に行った時に見ておいたのです。)

そして、ルテさんに「ちょっと出掛けてきます。」と声を掛けて、街に出ました。最初に見かけたポストに、手紙を投函します。ルグレちゃんの暮しが少しでも良くなる事を祈りつつ、諜報員としてはあるまじき行為だな、と思いつつ。(まあ、任務を上手くやり遂げれば、お説教だけで済むでしょう。)

それから、エレイニンの歌う石についての聞き込みを開始しました。エウア族のおのぼりさんのふりをして、

「綺麗な音を出す石が街にはあるって聞いたのですが、こちらにはありませんか?」

と、雑貨屋さんを中心に聞いて回ったのです。

しかし、辺りが薄暗くなるまで行った聞き込みの収穫は、成り行きで買わなければいけなくなったオモという果物6つだけでした。(注:シムーでは、お洒落な雑貨を置いてある店で、果物も売っています。どちらも昔は船で輸入されて来た品物だからだそうです。)

「あら、遅かったのね。」宿へ帰ると、ルテさんが台所から顔を覗かせました。

「済みません、古文書を調べるのに熱中していたものですから。」

「そうだったの。何かの研究をしているのね?」

そこで私は、エウア族や他の部族の神話について個人で調べていて、シムーへは図書館の資料を見る為に来たのだ、という内容の作り話をしました。

「大変ねえ。ところで、そのオモはどうしたの?」

「帰り道で、気晴らしに雑貨屋さんを覗いたら、買うことになってしまって・・・どうやって食べるのですか?」

「これはね、汁を搾って調味料に使う果物なの。酸っぱいのよ。こんなに沢山どうしましょうか?」というルテさんの話を聞いて、私は閃きました。

「ルテさん、ホールにあったお菓子の本を見せてもらっていいですか?」

「いいわよ。」

私はお菓子のレシピを抜粋してメモしてから、ルテさんの所へ戻りました。

「ルテさん、不躾なお願いなのですが、今日の夕食が終ったら、キッチンと材料を少し貸してもらえないでしょうか?」

「どうするの?」

「今日買ったオモを使って、スビサ(地球のタルトに似たお菓子)を作ろうと思うのです。」

「まあ、オモをスビサにするの?聞いた事がないけど、面白そうね。いいわよ、でも、条件があります。」ルテさんは厳しい顔で言います。

「勿論、ちゃんと片付けますし、材料代もお支払いします。」

「それも条件ですけど、私にも味をみさせて下さいね。」今度は片目をつぶって、ルテさんは言いました。

「はい、分りました。」と言って、私は部屋に戻り、着替えてから夕食の席に着きました。

その日の夕食は、焼きたてのマフィンに似たパンと、ソースをかけて蒸した白身魚、サラダと、甲殻類のスープでした。どれも家庭的で、細やかな心配りが感じられる味です。

食事が終ると、

「さあ、お部屋かホールで寛いでいてちょうだい。片付けが終ったら呼びますからね。」

ルテさんは言いました。

私はホールに行って、本棚にあるミステリー小説に手を伸ばしました。

読んでみると、どれも地球の物に比べて犯罪のトリックが単純で、10ページ位で犯人が分ってしまいました。この事から、あまり悪質な犯罪の無い、警察組織も発達していない社会だと分ります。(手の込んだ推理小説がある社会では、犯罪も悪質なケースが多いのです。)

5冊目のミステリーを途中まで読んだところで、

「エルさん、キッチンの準備が出来ましたよ。」と、ルテさんが言いました。

キッチンへ入ってみると、器具の準備が出来ています。

「材料は何を使うの?」と、ルテさんが聞きます。

「バターと、卵と、お砂糖と、粉ですね。」言った物を冷蔵庫から出してくれます。

一番初めに、粉にバターと砂糖と卵を混ぜてスビサの生地を作り、冷蔵庫で休ませました。その間に、アパレイユ(中に入れる物)を作ります。

オモの汁を搾っていると、

「あら、お砂糖で煮るのじゃないの?」後ろで見ていたルテさんが言いました。

「ええ、これと卵を煮てクリームにしようと思います。」

「若い人は面白い事を考えるわねえ。」

うろ覚えの分量で、卵と卵黄と砂糖を混ぜて火にかけ、とろみがついたところでオモの汁と皮のすりおろしを加えてもう少し火を通し、バターを加えてから冷ますとアパレイユの完成です。

冷蔵庫から取り出した生地を丸くて平たい型に敷いて空焼きし、アパレイユを流して固まるまで焼くと、オモのスビサが出来ました。

「まあ、緑色で綺麗なスビサね。冷蔵庫で冷やして、明日の朝食に出しましょう。他の泊り客の方にもお出ししていいかしら?」

「はい、お願いします。」それから20分かけて後片付けをして、その夜は休みました。

#7 幸運の後に災難?

次の朝は、ノックの音で目が覚めました。大急ぎで身支度をしてドアを開けると、ルテさんが立っています。

「何かあったのですか?」と尋ねると、ルテさんはキョトンとした顔をしてから、

「ああ、貴女はエウア族の方だから知らないのね。私の部族では、朝起きたらお茶を飲むのが習慣なの。だから持って来たのよ。」と言って、お茶のワゴンを見せてくれます。

「有難う御座います。」と言って、私はルテさんに入って貰いました。

「貴女のスビサを、朝食に頂いたのよ。」お茶を注ぎながら、ルテさんは言います。

「とても美味しかったわ。きっと他のお客様にも大好評よ。エウアにはああいうお菓子があるの?あんなのを食べたことはないけれど。」というルテさんの言葉で、

(まずい、プライム・ダイレクティヴを犯してしまった!)と気が付きました。ショックです。

「いえ、私の思い付きなのです。」と返事をしながら、(まあいいか、兵器に転用できる技術でもないし、報告書に書かなければ大丈夫だな。)と、気を取り直しました。

「お茶を飲み終わったら、下にいらしてね。もうすぐ朝食よ。」

「はい、分りました。」ルテさんの入れてくれたお茶は、ほのかに花の香りがします。

下の食堂に行くと、朝食の準備が出来ていました。

厚手のワッフルのような生地を巻いて中に詰め物をした料理と、野菜のスープ、それにピンク色の冷たいジュースが付いています。

「さあ皆さん、温かいうちに召し上がって下さい。食後には、こちらのエルさんが作ったオモのスビサをお出ししますからね。」ルテさんが言うと、他に2人いた泊り客から歓声があがりました。

その事がきっかけで世間話が始まり、和やかなムードで食事は進みます。巻いたワッフルの中身は肉と豆を煮込んで作ったペーストのようです。野菜スープのお野菜はどれも新鮮な味がして、ジュースは桃とオレンジを足して2で割ったような、美味しい味でした。今日の朝食は大満足です。

「さあ、お食後ですよ。」ルテさんがスビサとお茶をサービスしてくれます。

「緑色のスビサなんて、変っているわね。」

「でも、美味しそうじゃないか?」

会話から察すると、他の二人はカップルか夫婦のようです。私の詮索をする余裕は無いだろうと思うと、安心しました。

「まあ、美味しい!」一口食べて、女性の方が言います。

「甘味と酸味のバランスが絶妙ですね。」こちらのセリフは、連れの男性です。

行き当たりばったりで作ったお菓子をみんなに褒められたので、なんだかきまりが悪くなってしまいました。食べ終わるとすぐに部屋に帰って、外出の準備をします。

キッチンのルテさんに、

「図書館に行ってきます。」と声をかけると、「ちょっと待って。」という答えが返ってきました。玄関に出てきたルテさんは、小さなバスケットを持っています。

「はい、お弁当よ。」ニッコリ笑って、私にバスケットを渡してくれました。

「有難うございます。おいくらですか?」

「いいのよ、下心があって作ったのだから。」ルテさんは悪戯っぽく笑います。

「と言われますと?」

「昨日作ってくれた、オモのスビサの作り方を教えて欲しいの。その代わり、ここに滞在している間のお昼のお弁当を作ってあげるわ。どう?」私を貧乏学生と見て、こんな申し出をしてくれたようです。

「有難う御座います。喜んでお願い致します。」私は経費節減を心がける、経理部に優しいエージェントですから、この申し出を受ける事にしました。

「じゃあ、いってらっしゃい。頑張ってね。」

ルテさんに嘘をついているのは心苦しいのですが、任務に精を出して埋め合わせをする事にしましょう。

その日も雑貨店を中心に聞き込みをしました。午前中に回った7軒は徒労に終りましたが、正午を少し回った頃に入った8軒目の店では、

「ああ、『歌う石』ね、家で扱っているわ。」と言われました。

「良かった、甥っ子の誕生祝いに買ってあげようと思っていたのです。」

「ごめんなさい、今は品切れなの。あと2、3日したら入荷するわ。」と、女性オーナーは申し訳なさそうに言います。

「構いませんよ、私はしばらくシムーに滞在しますから、その頃にまた参ります。一つ取りおきしておいて下さいね。」と言うと、

「申し訳なかったわね。そうだ『歌う石』を輸入している会社で、健康茶も扱っているんですよ。飲んでみませんか?」と勧められました。

「健康茶ですか。どんな効果が有るのですか?」

「パンフレットによると、ミネラルを多量に含んでいて体調を整え、ストレスを軽減し、ダイエットにも良いそうです。」ごく普通の宣伝文句に聞こえますが、覚せい剤のセールストークに似ていなくもありません。

「私も飲んでいますが、何だか体の調子が良くなったみたいで、気分がいいわ。」と言って、オーナーさんはポットを出してきました。クリスピン博士に「お茶に気をつけろ」と言われていましたが、ここで断ると情報を引き出せなくなる恐れが有ります。何かあったらヴァルカン船に緊急転送して貰う事にして、覚悟を決めて差し出されたカップの中身に口を付けました。香ばしい味と香りがします。何かの葉を焙じて作ったお茶のようです。しかし体には何の影響も有りません。一安心してオーナーさんの方を見ると、瞳孔が拡大しています。機嫌も妙に良くなって、口数も多くなりました。明らかに軽いラッシュ状態です。それには気が付かないふりをして、世間話を続けました。その合間に、輸入会社の名前はネイグ貿易であるという事と、そこから月に一度位の割合で、お茶と『歌う石』を入荷しているという事、どちらも大人気ですぐに品切れになる事などを聞き出しました。

この女性オーナー自身は、お茶が麻薬である事を知らないようです。(そうでなければ、お茶に手を出す筈がありません。)

ご馳走になったお礼を言って、私は店を出ました。すぐに公衆トイレの個室に入り、トリコーダーで貰ってきたお茶の試供品の成分分析をします。分析結果を見て、私は驚きました。目の前で人がラッシュ状態になったお茶に、麻薬成分は全く無いというのです!

暫くの間理解に苦しみましたが、5分位考えて、一つの結論が出ました。月の基地で受けたレクチャーによると、アーモン人はかなり特殊な代謝系を持った種族だという事でした。(だから私は、食後に何種類かの解毒剤を飲まなければいけないのです。)

恐らく、地球人には何でもない成分が、彼らには麻薬として働いてしまうのでしょう。

お茶の葉をじっくり見ていると、何処かで見た事があるような気がします。しかし、お腹が空いて血糖値が下がっている為に、考えがまとまりません。とりあえず、お昼を食べられる場所を探す事にしました。

シムーの今の季節は晩秋で、今日の天気は曇りなので、結構冷え込みます。私は持って来たベージュのストールを巻いて、街を歩きました。地図を見ながら、公園を探します。

そのうちに出ました。「お嬢さん、そこの美人のお嬢さん!」という呼び込みの声が聞こえます。通り過ぎようとすると、「貴女ですよ、ベージュのストールのお嬢さん。」

と言われました。振り返ると、いかにも商売慣れしていなさそうな若い男性が、手作りジュエリーの露店を開いていました。その隣りには大きな犬がお座りしています。

「私の事ですか?」確認すると、「そうですよ、お嬢さん。」と真面目な顔で言われました。

「いいですか、ご店主。」と、私は腰に手を当てて言いました。「あまり見え透いたお世辞は言わないのが、商売のコツですよ。」

「お世辞だなんてとんでもない。どうです、貴女によく似合いそうな、とっておきのジュエリーがあるんですよ。見てみませんか?」とその男性は誘ってきました。

「私は貧乏学生です。とてもそんなお金はありませんよ。」と言って行こうとすると、

「そう言わずに、見てくださいよ。お値段も勉強しますよ、この位でどうです?」

と言って、何かを紙に書いて私に差し出しました。私はその紙を見て、血の気が引きました。ベイジョーのシンボルマークが書いてあったのです!その瞬間に、あのお茶の葉をどこで見たのか思い出しました。DS9にバカンスに行った時に、倉庫らしき場所の前に散らかっていた物です。私は何が何だか分らなくなりましたが、

「そうですね、見てみましょう。何処に有るのですか?」と、平静を装って尋ねました。

「宿の方に置いてあります。来ていただけますか?」男性は辺りに素早く視線を走らせます。

「いいですよ、時間は有りますしね。」と答えると、男性は店じまいを始めました。荷物をまとめると、

「さあ、行きましょうか。」と言って、先に立って歩きます。私は後について歩きながら、眼鏡を直すふりをしてアイゲイズフェイザーのスイッチを入れました。これは、眼の焦点を合わせた物に照準を合わせ、「撃て!」と考えた脳波によってフェイザー光線が発射される優れものです。ワンちゃんも私の後について来ます。

しばらく歩いて、町外れの安ホテルに着きました。フロントの方から鍵を受け取って、男性はエレベーターに乗ります。私とワンちゃんも乗りました。昇っていくエレベーターの中で、私はもう一つ、思い出せないでいた事を思い出しました。ルグレちゃんの真似してくれたおかしな仲買人の喋り方は、連邦標準語を喋っている時のガラック氏の訛りに似ていたのです!

ベイジョー人がアーモンで麻薬を売っている?「サークル」の類の組織の資金稼ぎ?カーデシア人も何らかの形で関与している?

頭の中で考えがグルグル回ります。男性は521と書いてある部屋の前で足を止め、ドアを開けました。私はポケットから閃光弾を取り出して握り締めました。

男性は部屋に入って、「どうぞ。」と私を中に招き入れました。部屋の中には、誰もいないようです。窓際の椅子に座って、「お座り下さい。」と言いました。

「いえ、ここで結構です。」私はドアの前に立ちました。

「そうですか。少しお聞きしたい事があります。」

「その前に、私に貴方の事を聞かせて下さい。ベイジョーはレディーファーストの筈でしょう?」と言うと、

「分りました。何をお聞きになりたいのですか?」男性は、先ほどとはうって変った厳しい表情で言います。ワンちゃんは、男性の傍に座りました。

「単刀直入に伺いますが、ここで何をなさっているのですか?この星で出回っている惑星外からの麻薬に、貴方は何らかの関与をしているのですか?」

その時、信じられない事が起こりました。ワンちゃんがオレンジ色の固まりになったかと思うと、あっという間に腕組みをしたDS9の保安チーフの姿に変ったのです!

「それはこっちの台詞ですよ、ELIMさん。」あっけにとられている私に、オドー保安チーフは言いました。

「こんな所で何をしているんですか?まさか連邦がベイジョーに麻薬を流している訳じゃないでしょうね。」

私には、オドーの言っている事の意味が分りません。

「不本意ながら、事情聴取させて頂きます。この惑星には、どういう目的でいらっしゃったのですか?」

「ちょっと待ってください、保安チーフ。」ようやく事情が飲み込めた私は言いました。

「私はベイジョーへの麻薬密売の容疑で取調べを受けているのですか?」

「その通りです。貴女の指摘は実に正確だ。」オドーの厳しい顔からは、何も読み取れません。

「私はベイジョーに麻薬が密売されている事なんか、貴方から言われるまで知りませんでしたよ。それに、惑星連邦には麻薬を売らなくてもいいだけのお金と分別があります。」

「それなら、何故ここにいるのか話してくれますね?」

「分りました、隠していても話がこじれるだけですから、お話します。惑星連邦標準時間で3ヶ月程前に、この星のでエレイニンの歌う石が見つかりました。私は石を持ち込んだ人間について調査する為に、この惑星に派遣されたのです。」

「本当ですか?」完全なポーカーフェイスで、保安チーフは聞きます。

「本当ですとも。私が嘘をついているかどうか分らない貴方ではないでしょう?」

オドーは暫く私の顔を見つめてから、

「嘘ではないようですね。」と言いました。

「容疑が晴れたところで、食事をさせてくれませんか?昼食を後回しにして聞き込みをしていたので、お腹が空いてしまって。」と頼むと、

「構いませんよ。ボヤジアン、君も食べ物を買ってくるといい。空腹になる時間の筈だからな。」オドーは言いました。

「それなら、ボヤジアンさんが帰ってきてからみんなで食事にしましょう。大勢の方が楽しいですからね。」

「済みませんね、すぐに帰ってきますから。」とボヤジアンさんは言って、部屋の外に出て行きます。

「オドーさん、これが何か分りますか?」私は貰ってきたお茶をバッグから取り出して、椅子に座った保安チーフに見せました。

「これはシーキ草です。ベイジョーの沼地に大量に生えている草で、パッキング材として普通に使われている物ですよ。これがどうかしましたか?」

「アーモンでは、麻薬として売られているみたいですよ。」

「まさか。」オドーは冗談でしょう、という顔で私を見ます。

「こんな物は、どうやっても麻薬になりませんよ。」

「このお茶を飲んだ方が瞳孔を大きくしてハイになるのを、私はこの目で見ましたよ。」

「どうやらそれも本当のようですね。」保安チーフはあっさり信用してくれました。

「・・随分簡単に信用して下さいますね。」

「貴女位のレベルの方なら、もっとまともな作り話をするでしょうからね。」

そんな理由で信用されても、嬉しくありませんが。

「あなた方は、どうしてアーモンにいらっしゃったのですか?麻薬捜査のようですが。」

と尋ねると、

「実は、4ヶ月程前からベイジョーで悪質な麻薬が流通し始めましてね。流通経路を辿るとDS9に行き着いたので、私も捜査に乗り出した訳です。姿を変えて密輸船に潜入し、アーモンの月の裏側から出現した遮蔽装置を持つ船から、麻薬の原液を受け取っている事までは突き止めました。この付近の宙域で有機物が存在しているのはアーモンだけですから、この星で麻薬の精製をしているのは間違い無いのですが、そこからが手詰まりです。ここは連邦領域内のプライム・ダイレクティヴ適用惑星ですからね。シスコ司令官に手を回して頂いて、この星に我々2人が潜入する許可を取るのがやっとでした。しかし、この星では捜査権も逮捕権も行使できません。」保安チーフは、残念そうに言いました。

「麻薬の原料だけでも突き止めて来て欲しいというのが、ベイジョー警察と科学アカデミーの要請です。この麻薬は調製されてから5時間で分解してしまうし、複製も出来ません。それが値段を釣り上げる要因にもなっていますし、解毒剤も作れないのです。この麻薬の中毒患者の禁断症状は悲惨です。多数の中毒者が出ているので、ベイジョーの首都では、少しでも医学知識のある人間はボランティアで治療の手助けをしています。モーラ博士もその1人です。私は博士がボランティアから帰って来た所に居合わせたのですが、『患者の様子を見ていたら、食欲が無くなった。』と言って、好物のハスペラットに手を付けないんですよ。生物学者の神経がどういう物か知っている貴女なら、どれだけひどい状況か分るでしょう?」長い話の後で、オドーは私に聞きます。

「ええ、分りますとも。私自身、子豚の解剖をした後でハンバーガーを食べられる人間ですからね。」と、私が答えたところで、ボヤジアンさんが帰ってきました。

「お待たせしました。」ドレッサーの椅子を持ってきて、ボヤジアンさんがテーブルに着き、食事が始まりました。

「ところでオドーさん、どうして私だと分ったのですか?」先ほどから気になっていた事を尋ねます。

「貴女は顔を変えていましたが、声と話し方と仕草は変わっていなかったからですよ。」

事も無げに保安チーフは言いました。

「貴女を呼び止めろとチーフに指示された時は、驚きましたよ。まさか連邦の方だとは思いませんでした。」プラスティックの皿に入ったシチューを食べながら、ボヤジアンさんは言います。ルテさんが持たせてくれた私のお弁当は、丸パンをくり抜いてミートペーストを詰めた物と、茹でた野菜、小さな保温ボトルに入ったお茶と、焼き菓子でした。

「こちらの調査はめどがついて来ました。そちらの調査もお手伝いできるかもしれませんよ。ベイジョーで出回っている麻薬は、どんな物ですか?煙にして吸うタイプですか、それとも注射でしょうか?」と聞くと、

「液状の麻薬です。飲み物に数滴垂らして使います。その手軽さがあっという間に普及してしまった要因ですよ。」オドーが答えてくれます。

「色は薄いピンクで綺麗なんですがね。」ボヤジアンさんが言うと、

「何を言ってるんだ、ボヤジアン。」保安チーフにたしなめられました。

その言葉で、私は思い付いた事があります。

「ひょっとして、こんな色ですか?」色が合わないので服の下に着けていた、ルグレちゃんのペンダントを見せると、

「そうそう、これをもっと薄くしたような色ですよ。」と、ボヤジアンさんは言いました。

オドーは、トリコーダーを取り出します。

「成分が一致しました。ELIMさん、貴女がどういう人か知らなければ、麻薬所持の現行犯で逮捕するところですよ。何処で手に入れましたか?」

「友達に貰いました。イロンという木の樹脂で作ったもので、子供のおもちゃだそうです。

大学のデータベースで調べたのですが、どう加工しても麻薬にはならないという結論が出ましたよ、保安チーフ。」

「ベイジョーでは大勢の人が苦しんでいます。ベイジョー人には麻薬にならないシーキ草がアーモン人には麻薬になりますが、その逆もあるのでしょうね。このビーズをお借りしてもいいですか、ELIMさん。」

「一粒だけは返して下さいませんか?聞き込みに使いますから。」

「分りました。」保安チーフは、ビーズを一粒外して私に渡してくれました。

「オドーより『バハラ』。テーブルの上のビーズを転送してくれ。『シアヴ』の原料だ。」

「分りました。早速博士に分析して頂きます。」コミュニケーターから声が聞こえます。

「薬学者の方も来ていらっしゃるのですか?」私は聞きます。

「ベイジョーはかなりひどい状況でしてね。」答えるオドーの前から、イロンの玉が転送されていきます。

「話は変りますが、良かったら如何ですか?」と言って、私はボヤジアンさんの前にルテさんの焼き菓子を置きました。

「いいんですか?」

「かなり不毛な食生活をしていらっしゃるみたいですからね。出来合いの食べ物だけだと、だんだん精神も荒んできますし。」

「ああ、そうなんですか。」妙に納得した表情で、保安チーフは頷きます。

「分かりませんでしたよ。部下が妙に情緒不安定になる事があるとは思っていたんですがね。」

「そうだ、オドーさん、あなた方に提供できる情報が一つありましたよ。」私は言いました。

「ツミ地方の辺境の村で、『街で流行っているから』と言って、イロンの玉を買い集めている仲買人がいるそうなのですが、その方々の話す言葉にカーデシア人に似た訛りがあるらしいのです。」

「カーデシア人が・・・」ボヤジアンさんが憎しみのこもった声で呟きます。

「まだそうと決まった訳じゃない、早まるな。シーキ草と『シアヴ』の件は同一犯の仕業でしょうか?」

「私は、同一犯の仕業である事を祈りますね。」

「ほう、何故ですか?ELIMさん。」オドーは鋭い目でこちらを見ました。

「もし同一犯なら、あなた方にも逮捕できる可能性があるからですよ。」

「と言うと?」

「私はこの任務に就く際に、『惑星アーモンの自然な発達を妨げる事態が起こっている場合には、自分の責任において処置を実行してもよい権限』を与えられています。私があなた方に協力を依頼した形にすれば、問題なく『シアヴ』の加工と販売を行っている連中を逮捕できる筈ですからね。」

「それは有り難いですね。もし同一犯だった場合には、是非協力をお願いします。」

「しかし、『バハラ』で上空からスキャンしても、我々がシムー市内をトリコーダーでスキャンしても、異星人は見つかりません。必要な時だけ上陸しているのでしょうか?」

ボヤジアンさんが、焼き菓子を食べながら言いました。

「私のトリコーダーにも、アーモン人以外の反応は出ませんでした。その件について私なりの仮説があるのですが、聞いて頂けますか?」

「伺いましょうか。」保安チーフは興味深げに言います。

「彼らは『遮蔽』しているのではないかと思うのです。連邦領域内で悪事を働く以上、いずれ惑星外から捜査の手が伸びてくる事は予想していたと思います。その場合に備えて、トリコーダーや宇宙船からの走査波を誤魔化す装置を個人で身に付けていたり、工場に取り付けていたりするのではないかと考えるのです。」

「興味深い仮説ですね。しかしそれが事実だとすると、我々はトリコーダーを改良するまで連中を捕まえられないという事です。」

「そうでもないと思いますよ、私にもプランが有ります。」

「どんなプランですか?」ボヤジアンさんに聞かれます。

「犯人は、連邦の人間が最新テクノロジーを使って自分たちを追いかけると思っているでしょう。この星の警察機関が捜査する場合も考えている筈です。しかし、連邦の人間が、この惑星のテクノロジーを使って捜査するとは思っていないでしょう。」

「具体的には、どういう事ですか。」オドーも聞きます。

「つまり、彼らは船やトリコーダーのスキャンの防御はしているでしょうが、至近距離からのサーモカメラによる撮影を誤魔化すような装置は持っていないと思うのです。」

「成る程ね。」

「どの惑星の人間が潜伏しているにせよ、整形手術をしている筈です。サーモカメラに写せば、その痕跡が見えるでしょう。もし体温がアーモン人と違っていれば、もっと簡単に分るでしょうね。」

「いい考えですね。この惑星で出回っているサーモカメラと同じ物を作らせましょう。」

保安チーフは言いました。

「電波で映像が飛ばせる物にして下さいね。そういう機種が有る事は確認済みです。それと、携帯電話もお願いできますか?」

「携帯電話?通信機があるでしょう。」ボヤジアンさんが怪訝な顔をします。

「彼らが遮蔽装置の類を持っていると仮定すると、かなり頭の回る犯罪者だという事です。

連邦やベイジョーの通信周波数をモニターしていると考えても不思議ではありません。その点携帯電話の電波なら、この惑星上に氾濫しているので、いちいちモニターしていないと思うのですが。」

「いい考えですね。早速手配しましょう。同一犯の可能性がある以上、これからは私達と共同捜査という事で、宜しいですか?」保安チーフに念を押されます。

「そのようにお願いします。では、明日からの捜査プランを立てましょう。」

それから15分位の間、3人で捜査計画を立てました。オドー保安チーフが捜査本部にいてモニター監視をし、私とボヤジアンさんがカメラを持って街を歩く事になりました。問題は、捜査本部の場所です。

「このホテルは使えませんね、我々の通信で知られている可能性があります。」

「しかし、ホテルの類だと従業員が入ってくる恐れがありますね、どこかの空き家に潜伏しましょう、チーフ。」と、ボヤジアンさんが言います。

「それよりもっといい場所を思い付きましたよ。」私は提案しました。

「私の泊まっているペンションのクローゼットですよ。人が入れる大きさですし、オーナーのルテさんは泊り客のクローゼットを覗くような方ではありませんからね。いっそこちらのペンションに移って来られては如何ですか?」

「しかし、これだけ丁寧な料理をしている所なら、高いでしょう?我々には予算が無いんですよ。」ボヤジアンさんが難色を示しますが、

「大丈夫です。1泊2食付きで1000カイ(約6000円)ですから。」と私が言うと、

「このホテルは1泊で850カイなんですよ。それなら、そちらに移った方が割安ですね。」と、納得してくれました。

「では、今日中にサーモカメラと携帯電話を『バハラ』で作って送らせます。明日にはここをチェックアウトしてそちらに移りますので、宜しくお願いします。」と、オドーは言いました。

「こちらこそ宜しくお願い致します。」と答えて、私は立ち上がります。

「では、今日はこれで失礼致します。明日からの準備と先約が有りますので。」

「分りました、気をつけてお帰り下さい。」と言って、保安チーフはドアを開けてくれました。

「そうそう、ボヤジアンさん。老婆心ながら忠告しますが、女性を確実に呼び止めたいと

思うなら、『そこのセンスのいいお嬢さん。』と言った方がいいですよ。」

「はい、以後気をつけます。」ボヤジアンさんは、苦笑いしながら言いました。

#8 合同調査開始です。

私はホテルの外に出ると、再びへ向かいました。まずシムーで一番人口が多い、トカ族の男性の服を買いました。それから、カバン店に行って、クラッチバッグを2つ、そして陶器店で花瓶を買ってから、ルテさんのペンションに帰ります。で買った物を植え込みに隠してから、玄関をくぐりました。

「おかえりなさい、お疲れ様。」ルテさんが出迎えてくれます。

「今日は色々と収穫があって、楽しかったですよ。」私は答えました。

「良かったわね。もうすぐ夕食にしますからね。」と言って、ルテさんは台所へ行きました。

私は急いで隠してあった荷物を取って、誰にも見られないように注意しながら部屋へ戻りました。夕食までの時間を使って、オモのスビサのレシピを書きます。

「お夕食ですよ。」というルテさんの声が聞こえたので、下の食堂へ行きました。

 今日のメニューは、プディングのような物と鳥肉が入った透明なスープと、平たくて皮が固いパン、それとピンク色の花が入ったゼリーでした。夕食は軽めに食べるのが、ルテさんの部族の習慣のようです。

「これはお野菜のお団子ですからね。栄養バランスは取れていますよ。台所を片付けたらお呼びしますから、スビサの作り方を教えて下さいね。」ルテさんは言いました。

ほのぼのする味の食事を楽しんで、お茶を飲んでから、私はホールで置いてあった料理の本を読みました。1冊目を読み終わって、2冊目に手を出したところで、

「台所が片付きましたよ。スビサの作り方を教えてちょうだい。」と、ルテさんに呼ばれました。

それから1時間30分は、スビサの製作に没頭しました。

「これ位煮ればいいの?」

「いえ、もう少しです。」

「こんなにバターを入れるの?」

「とろみと甘さの調節に必要なのです。」

こんな会話を繰り返して、スビサが出来上がります。冷蔵庫に入れて、お茶を飲む事にしました。

「美味しそうに出来たわね。明日が楽しみだわ。」ルテさんは言います。

「話は変りますが、今日のお花の入ったゼリーは美味しかったですね。どうやって作るのですか?」

「あれはね、キリグ酒を入れたシロップを作って、ペルチェ(この世界でゼラチンに相当する物)を湯煎で溶かした物を入れて・・・」

「ペルチェは電子レンジで溶かすと早いですよ。」

「そうなの?」

などと他愛もない会話をしていると、ルテさんが、

「アイロンを貸してあげましょうか?そろそろハンカチにアイロンをかけないといけないでしょう?」と言いました。

「そうですね。」と答えて、私はポケットからシワのよったハンカチを取り出しました。

「女の子は、アイロンのかかったハンカチを持たなければいけませんよ。」

「そうですね、今晩アイロンをかけます。」と言いながらハンカチを広げると、イロンの玉が転がりました。

「あら、綺麗なビーズね。買い物の途中で、それと同じ物が道に落ちているのを見たわ。」とルテさんが言うので、私は驚きました。それを顔には出さずに、

「どこに落ちていたのですか?」とさり気なく聞きます。

「エレテ街の倉庫の前だったかしらね。」という答えが返ってきました。

その後15分位、お菓子や料理の話をしてから、ルテさんにアイロンを借りて、部屋へ戻りました。

ハンカチにアイロンをかけながら、トラベル地図でエレテ街の道をチェックします。

倉庫街らしいので、私がエウア族の衣装で歩き回れば目立つでしょう。昼間はボヤジアンさんに回って貰って、夜はトカ族の衣装を着て私も歩いてみよう、と考えながら、ベッドに入りました。

次の朝、ルテさんがお茶を持ってきてくれて、飲み終わってから食堂に下りました。

食堂のテーブルには昨日のカップルと、ボヤジアンさんが座っていました。

「紹介します。今朝早くチェックインなさったボヤージさんです。」と、ルテさんが言います。

「初めまして、おはよう御座います。」と私は挨拶しました。

「おはよう御座います。」と当惑気味に答えるボヤジアンさんの手を握って、「意気投合した振りをして下さい。」と書いた紙を渡しました。ボヤジアンさんは多少わざとらしいながらも、私に調子を合わせてくれます。食事が終る頃には、ボヤジアンさんとゲレというボードゲームをする約束をして、それぞれの部屋に入りました。

 それから10分後に、私はボヤジアンさんの部屋のドアをノックしました。

「どうぞ。」と言いながら、ボヤジアンさんはドアを開けてくれます。

部屋の中の椅子には、オドー保安チーフが背筋を伸ばして座っていました。

「おはよう御座います、ELIMさん。」

「さっきは驚きましたよ、怪しまれないようになるべく貴女とは距離を置こうと思っていましたからね。」ボヤジアンさんは言います。

「親しくなった振りをしておけば、万一ルテさんに見られても怪しまれないでしょう?さて、調査の準備をしましょうか。」と私は言って、クラッチバッグを取り出しました。

「そのバッグをどうするんですか?」ボヤジアンさんに聞かれます。

「この中にカメラを隠して、撮影するつもりです。カメラを貸して下さい、穴を開けますからね。」

「分かりました。」

渡されたサーモカメラをクラッチバッグに入れて、レンズの位置に穴を開けました。

「それから、ルテさんがエレテ街で『シアヴ』の原料のビーズが落ちているのを見たと言っておられましたよ。」

「分かりました、ボヤジアン、君がそちらの調査をしてくれ。」オドーは言いました。

「では、捜査に行きましょうか?」立ち上がったボヤジアンさんに、

「待って下さい、その前にネット喫茶に寄りましょう。」と私は言います。

「何故ですか?」

「この惑星の警察に職務質問された場合も想定しなければいけません。名刺を作りましょう。科学研究者という事にしておきましょうか。オドーさんの携帯電話の番号を、民間研究所の所長の番号として、名刺に印刷します。オドーさんは、研究者の話し方をよくご存知でしょうから。」

「不本意ながらね。」保安チーフは、憮然とした顔で答えました。

「それから、まず有り得ないと思いますが、ルテさんがクローゼットを開けた場合の緊急避難所として、花瓶を買って来ました。万一の時にはお使い下さい。」

「お気遣い有難う御座います。では、ミーティングをしましょう。」

 それから10分程、今日の行動についてのミーティングを行いました。私がイタケ通りのネット喫茶で名刺を作り、そこからボヤジアンさんがエレテ街の調査に向かい、私は例の雑貨店で聞き込みをしてから、街をくまなく歩いてみる事になりました。

 「では、調査を開始しましょう。」オドーが宣言します。

「私が先にペンションを出ます。ボヤジアンさんは20分後に出てください。」

「分かりました。」

私はいつも持っているバッグの中にクラッチバッグを入れ、ルテさんからお弁当を貰って、外に出ました。ある程度ペンションから離れた所で、ボヤジアンさんの携帯に電話をかけます。

「もしもし、ボヤージさんですね。聞こえますか?」

「はい、エルさん。感度良好です。」

「これからイタケ通りに向かいます。名刺を印刷して待っていますからね。」

「分かりました。では。」

次に、保安チーフに電話をかけました。

「所長、聞こえますか?」

「はい、感度良好です。」

「貴方の肩書きは、イスタ民族生理学研究所、所長のオドノーという事にしようと思っていますが、如何ですか?」

「構いませんよ、そのようにお願いします。」

「それでは、何かありましたら電話を下さい。」

 私は電話を切って、ネット喫茶に入り、名刺を作りました。コインロッカーにバッグを入れ、クラッチバッグだけを持って、ボヤジアンさんと待ち合わせました。

「お待たせしました。」ボヤジアンさんが来ます。

「名刺は10枚印刷しました。5枚ずつ分けましょう。」

「分かりました。」名刺を分けて、私達はそれぞれの行き先に向かいました。

歩き出してから3分もしないうちに、携帯電話が振動します。番号を見ると、オドー保安チーフからです。

「はい、何か有りましたか?」

「いえ、カメラのアングルが今ひとつなのです。もう少し上にして貰えませんか?」

私はがっかりしましたが、バッグをもう少し上に持って、雑貨屋さんに向かいました。

四方山話をしてから店を出て、街中を歩き回りました。日が沈んで暫く経った頃、オドー保安チーフからまた電話が入りました。

「そろそろ女性には危険な時間帯に入ります。ペンションに戻って下さい。」

との事でした。

 私が疲れきってペンションに戻ると、

「お帰りなさい、今日は大変だったみたいね。」ルテさんが温かく出迎えてくれました。

「ええ、今日は古文書に取り組んだものですから。」

「そうなの。じゃあ、フルーツティーを淹れてあげましょうね。お茶を飲みながら、夕食を待っていてちょうだい。」

「有難う御座います。」

ホールでお茶を飲みながら、本を5ページ位読んだ時に、ボヤジアンさんが帰ってきました。

「お帰りなさい、ボヤージさん。貴方もお疲れみたいね。エルさんと一緒にお茶を飲んでいて下さいな。」ルテさんが声をかけます。

私はボヤジアンさんと向かい合って座り、暫く黙ってお茶をすすりました。

ぼんやりとテレビを見ていると、薬物中毒患者が起こした傷害事件のニュースを放送していて、これは何とかしないといけないな、と思いました。

他の方々と雑談をしながら夕食を摂り、ルテさんと料理の話をして、昨日の夕食に出された野菜のお団子と鶏肉のスープの作り方を明日教わる約束をして、部屋に戻りました。

 荷物を置いてからすぐにボヤジアンさんと保安チーフの部屋に向かいます。

「どうでしたか?」部屋に入ると同時に、私は聞きました。

「収穫無しですね。」とボヤジアンさんは言います。

「それは残念です。」

「焦りは禁物ですよ、ELIMさん。捜査は忍耐です。」とは、オドー保安チーフの言葉です。

「ボヤジアン、君はもう一度エレテ街の捜査に行ってくれ。」

「私も行きます。」と言うと、オドーは私を見て、

「いけません、夜の倉庫街は女性が歩くには危険です。カーデシア人がいるとなると、さらに危険だ。」と答えました。

「3分待って下さい。」と言って私は部屋へ帰り、トカ族の男性服に着替えて、ボヤジアンさんの部屋にとって返しました。

「これならどうですか?」

保安チーフは私を一通り眺めてから、「まあ、いいでしょう。一つ不安材料がありますがね。」と了承してくれました。

「有難う御座います、不安材料とは何でしょうか?」

「貴女が不良少年としてご当地の警察に補導される可能性がある、という事です。」

「それはご心配なく。学費を工面する為にアルバイトをしている苦学生になりますからね。」

「成る程、貴女は誤魔化しが上手ですね。では、行動を開始しましょうか?」

「了解しました。」と言って、私とボヤジアンさんは夜の街へ繰り出しました。

しかし、何の成果も有りません。次の日も、その次の日も、同じ状態が続きました。

収穫と言えば、エレイニンの石の入荷待ちをしている女性店主と親しくなった事と(私とて諜報員の端くれ、「人に気に入られる技術」は身に付けています。)、ルテさんに教えて貰って料理とお菓子のレパートリーが5つ増えた事位です。

#9 進展あり

 4日目のお昼前、雑貨屋さんとお茶の約束をして店を出た直後に、携帯電話が振動しました。オドー保安チーフの番号です。

「はい、こちらエルですが。」

「こちらはオドノーです。ボヤージが興味深い映像を撮影しました。捜査方針を変更しますので、至急ペンションへ帰ってきて下さい。」という連絡が入ったので、私は急いでルテさんのペンションに戻りました。

「あら、どうしたの?今日は早かったわね。」ルテさんが、驚いた顔をします。

「頭が痛かったので、早く帰ってきました。」

「まあ、そうなの?部屋で休んでいて下さいね。後で頭痛薬を持って行きますよ。」

「申し訳有りませんが、出来るだけ早くお願いします。」と、私は頼みました。早くボヤジアンさん達の部屋に行きたかったからです。

 私がベッドに潜り込んで待っていると、5分後にルテさんが薬を持って来てくれました。

薬を飲んだふりをして、ルテさんが下に下りるのを待ち、足音が聞こえなくなるのと同時にボヤジアンさん達の部屋に向かいました。

「遅かったですね、ELIMさん。」オドーが厳しい表情で言います。

「ルテさんに頭痛がすると嘘をついてしまったもので、心配されましてね。どんな映像が撮れたのですか?」

「論より証拠です。見て下さい。」と言って、保安チーフは録画映像を再生しました。

サーモカメラの映像に、オレンジ色の人影がいくつも移っては通り過ぎていきます。

映像の端に、白い人影が移りました。カメラが、その白い人影を追って行きます。

「白はたしか45℃以上の温度でしたよね。」

「そうです。そしてアルファ宇宙域でこれだけ体温が高い種族は、一つだけです。」

「カーデシアの方ですね。」

「カーデシア人なんかに、敬語を使ってやる事はありませんよ。」ボヤジアンさんが吐き捨てるように言いました。

 白い人影は、真っ黒に写る建物の中に入って行きました。

「この建物は、完全に断熱されていますね。」

「物音も全く聞こえませんでした。それに掌紋チェックをしなければ中に入れないようです。」

「他の出入り口は?」

「もう一つ有りましたが、そちらも掌紋チェック式のロックになっていました。」

「そうなると、私の出番のようですね。」オドーは言いました。

「何か倉庫街にあっても目立たない物に姿を変えて、ELIMさんに例の倉庫の目に付きにくい所に置いて貰いましょう。」

「分かりました。ピンホール・カメラも持って行きますか?」

「いえ、現地で証拠を失敬しますから。2時間後に、貴女が置いて下さった所に戻りますので、回収して下さい。」

夜になるのを待って、私はトカ族の男性の服に着替え、ファーストフードの紙袋を持って、町に出ました。ボヤジアンさんに教えて貰った倉庫の裏手に空の紙袋を置き、近くの24時間営業の喫茶店で時間を潰しました。

 2時間後に、お茶でがぼがぼになったお腹を抱えて倉庫の裏手に行くと、私が置いたのと全く同じ場所に、紙袋は有りました。持ち上げると、ぽちゃぽちゃと水の音がします。

 そっと袋を開けてみると、液体の入った壜が有りました。急ぎ足でペンションに帰り、ボヤジアンさんの部屋に入って、紙袋を椅子の上に置いて、背を向けました。重い液体が動く音がした後、

「もういいですよ。」という声がします。振り返ると、濃いピンク色の液体の入った壜を持ったオドー保安チーフが立っていました。

「あの建物の地下には、イロンの玉から麻薬を精製する工場が有りました。」保安チーフは、椅子に座りながら言います。

「しかし、この工場での加工だけで完成する訳ではないらしいのです。働いていた工員達の話によると、別の工場に送り、最後の仕上げをして、麻薬が完成するようでした。」

「どちらか一方の工場が摘発されても、ラインを止めない為の措置なのでしょうね。」ボヤジアンさんは、オドーが書き始めた工場の見取り図を見ながら言いました。

「という事は、同時に両方を摘発しなければいけないという事です。同時に資金源も断たなくてはいけませんね。」と私が言うと、

「多分連中の資金源は、シーキ草で作った麻薬を売った金でしょう。その金で『シアヴ』を精製してベイジョーに売り、帰りの船でシーキ草をパッキング材にした荷物を輸送して、

また麻薬を作る。実に悪質な相互貿易です。」と、保安チーフは答えました。

「シーキ草の件では、こちらで収穫が有りました。」私はチーフに報告します。

「例の雑貨店の店主に、お茶に誘われたのです。ボヤジアンさんの事を話したら、ご一緒にどうぞ、という返事でした。ボヤジアンさんに直接ネイグ貿易の事について聞いて貰う事も出来ますし、私たちが注意を引いている間に、保安チーフに連絡先を調べて貰う事も出来ますよ。」

「そういう事なら、私達も貴女に同行しましょう。今日はとりあえず、例の倉庫を交代で張り込むという事で宜しいですか?」と保安チーフが聞くので、

「はい、分かりました。」と私は答えました。

「前のシフトを貴女が担当して下さいませんか?夜遅くでは、危険でしょうからね。」ボヤジアンさんは、私を気遣う発言をしてくれます。その言葉に甘えて、夕食を食べてからの最初の4時間、エレテ街の倉庫を見張りました。その後ボヤジアンさんと交代しましたが、どちらのシフトでも捜査の進展はありませんでした。

 次の日の午後、私はボヤジアンさんと一緒に雑貨屋さんの店舗兼住宅へ向かいました。

ところが、ドアチャイムを鳴らしても返事が有りません。買い物にでも出ているのかと思ってボヤジアンさんと立ち話をしながら25分位待ったのですが、帰ってくる気配も有りませんでした。

「おかしいですね。」ボヤジアンさんが言います。

「来客が有るのに、こんなに長時間買い物から帰って来ないという事は無いでしょう。チーフに中の様子を聞いて貰いましょう。チーフ、誰もいませんから、出てきて下さい。」

「保安チーフはそんなに聴覚が発達しているのですか?」私は驚いて聞き返しました。

「その気になれば、クワークと同じ位には聞こえますよ。さあ、そこをどいて下さい。」私たちの後ろで固形化したオドーが言うので、私たちはドアの前から離れました。

「床の近くで、荒い呼吸音が聞こえます。」保安チーフは、ドアに耳を付けて言います。

「手足をばたつかせる音も聞こえますね。何かの発作を起こしたのかもしれません。開けましょう。」とオドーは言って、指先を変形させてドアノブの錠に差し込みました。

「待って下さい、保安チーフ。私ならもっと早く開けられます。」と私が声を掛けると、

「そう仰るなら。」と言って、多少疑わしげな表情で、オドー保安チーフはドアの前から離れます。

私は履いていた靴を脱いで、ドアノブを思い切り殴りつけました。ノブはあっさり外れて落ち、ノブの穴から手を入れると、チェーンが掛かっていないドアは簡単に開きました。

「乱暴な開け方ですね。」私の後から部屋の中に入った保安チーフは言います。

「仕方ないでしょう、緊急事態なんですから。」と答えてリビングに入ると、床の上に倒れてぐったりしている雑貨屋さんのご店主がいました。時々体を痙攣させています。

とりあえず横向きにして気道を確保しました。脈拍と呼吸は荒いものの、止まる気配は無いので、安心しました。

「ボヤジアン、君は応急手当が出来たな。この人を頼む。ELIMさん、貴女はコンピューターを調べて下さい。私は書類を調べます。」保安チーフは、てきぱきと指示を出しました。

私はコンピューターを調べて、ネイグ貿易との電子メールのやりとりを見つけました。

 メールは携帯電話から送られていて、署名もメールアドレスと会社の名前しか書いてありません。

そこで文書の入った記憶媒体を調べると、ネイグ貿易の住所が描いてある宛名ラベルが入っていました。

「保安チーフ、ネイグ貿易の住所を見つけました。そちらはどうですか?」

「駄目ですね、普段から要らない書類はすぐ捨ててしまう人らしい。」頭を振りながら、オドーは言いました。

「では、貴方たちはここから離れて下さい。救急車を呼びます。」

「そうですね、我々がいては怪しまれます。」水筒に姿を変えた保安チーフをボヤジアンさんが鞄に入れて立ち去るのを見届けてから、私は救急車を呼びました。

5分後に救急車が到着し、彼女を診た救急隊員は、麻薬の拒絶反応だと言います。

そう言えば、店主さんは最近お茶を濃く出して飲むようになっていたな、と私は思い出しました。

 救急隊員の通報で、病院には警察が来ていました。私も事情聴取されて、どうしてドアノブをあんな方法で壊したのかと聞かれました。

 私は例のごとくエウア族のおのぼりさんの振りをして、この辺りの言葉はトカ語しか話せず、店主さんの家はルビーコ族の居住地だったので、言葉が通じるかどうか分からなくて、一刻を争う状況だと考えてドアを壊した、とおどおどしながら説明したら、警察は納得してくれました。担当していた刑事さんには、「適切な対応でしたね。」とお褒めの言葉まで頂きました。

 店主さんはそのまま入院し、私は午後3時頃にペンションに帰りました。

「今日は遅かったわね。」と、ルテさんは台所から声を掛けてくれます。

「遊びに行った先の方が、急に具合を悪くされましてね。」と答えると、

「まあ、大変だったわね。でも、今日の料理は特別製ですよ。きっと一日の疲れが取れますからね。」

「有難う御座います。服を着替えたら、すぐに食堂に参りますから。」と言って、私は2階の客室に向かいました。

ボヤジアンさんの部屋に入って、決めてあったノックをしてからクローゼットを開けると、オドー保安チーフが体育館座りをして、モニターを睨んでいました。

「お帰りなさい、ELIMさん。うまく警察を騙せましたか?」

「はい、エウア族のおのぼりさんだと信じ込んでくれましたよ。」と答えると、

「それは良かった。私としては、異星の同僚を騙すのは不本意なのですがね。」オドーはそう言いながら、ずっとモニターを見ています。

「何か進展があったようですね。」

「はい、あの家で調べた住所のビルでボヤジアンに張り込みをさせたら、カーデシア人らしい女が入るのを確認しました。その女が出て来るのを待たせて、尾行させているところです。」

「そうですか、しかしボヤジアンさんは夕食に間に合いそうにありませんね。」

「何か言い訳を考えておいてやって下さい。」モニターを見つめたまま、保安チーフは言いました。私はクローゼットの扉を閉めて、食堂に向かいました。

「さあ、今日は私が母から教わった特別製のシチューですよ。沢山召し上がって下さいね。」

ルテさんは煮込み用の陶器の鍋をテーブルに置いて言いました。

「ボヤージさんはどうしたんでしょうねえ。」心配そうに続けます。

「今日は作った作品を全部売ってくるって、今朝話していらっしゃいましたよ。」と予防線を張ると、

「そう、頑張っていらっしゃるのね。」と安心したように言って、シチューを取り分けてくれました。

 シチューも、その後のデザートのお菓子もとても美味しくて、大満足です。夕食の後、ルテさんと世間話をしてから、(「今日は疲れているので。」と言って、料理作りは遠慮させて貰いました。)ボヤジアンさんの部屋へ行って、保安チーフと一緒に報告を待ちました。2時間42分後に、オドーの携帯電話が振動します。

「こちらオドーだ。・・・そうか、分かった。今日はこちらへ引き上げてくれ。」とオドー保安チーフは言って、電話を切りました。

「連中の本拠地らしい建物を見つけたのですが、主要な部分への立入りは出来なかったそうです。」

「そうなると、貴方の出番のようですね、保安チーフ。」

「そして貴女の出番でもあります。前のように、私が何か目立たない物に姿を変えますから、ビルの何処かへ置いて下さい。3時間後に、決めてある場所で私は待っています。」

「分かりました。」

「ボヤジアンが帰って来てから、待ち合わせ場所を決めましょう。」

それから40分後に、

「まあまあ、大変でしたね。疲れたでしょう?」と言うルテさんの声が聞こえました。

ボヤジアンさんが帰って来たようです。

部屋のドアが開き、ボヤジアンさんの顔が見えました。

「ただ今帰りました。」

「お帰りなさい、ボヤジアンさん。下で食事をなさって下さい。それから打ち合わせをしましょう。」と私は言いました。

「有り難いですね。」

「それから、ルテさんには貴方がジュエリーを売って遅くなった事にしてありますから、話を合わせて下さいね。」

「分かりました。」ボヤジアンさんはそう言って、下へ降りて行きました。

ボヤジアンさんが部屋に戻って来るのを待って、ビルの様子を聞き、保安チーフとの待ち合わせ場所を決めてから、その晩は休みました。

 次の朝、私は空のプラスティックボトルを鞄に忍ばせて、ルテさんのペンションを出ました。たまにレストランで食べてみたいから、と言って、お弁当は遠慮しました。

例のビルに向かい、中枢部があるらしいとボヤジアンさんが言っていた最上階までエレベーターで上りました。

最上階のフロアをうろついていると、

「何の御用ですか?」と、警備員に声を掛けられました。

「済みません、『ルクッキ』は何処でしょうか?確か最上階だって聞いてきたのですが。」

用意してきた言い訳を言うと、

「ああ、それなら隣りのビルです。あの店には私も良く行きますが、美味しいですよ。」

あっさり信用してくれました。

「済みません、飲み物の空きボトルを捨てさせて貰っていいですか?かさ張って邪魔なんです。」と頼むと、

「いいですよ。ゴミ箱はそこです。」と、給湯室を指差しました。

給湯室のゴミ箱にプラスティックボトルを入れて、私は隣のビルの「ルクッキ」に向かいました。

一番安いランチメニューを頼み、ゆっくりと味わって食べてから(一番安いメニューながら、シェフのこだわりが感じられる味でした。)、ビルの1階の本屋で立ち読みをして時間を潰しました。

3時間後に、ビルの通用口の近くに行ってみると、私の捨てたプラスティックボトルがありました。

誰にも見られていないのを確認してから、ボトルを鞄に入れてペンションに帰ります。

ドアをそっと開けると、ルテさんが台所で何か作っているのが見えました。足音を忍ばせて自分の部屋に帰り、荷物を置いてからプラスティックボトルを持ってボヤジアンさんの部屋に行きました。

バスルームへ行き、

「オドーさん、お風呂に入りたければ色を赤に変えてください。」と言うと、ボトルの色は真っ赤に変りました。

お湯を出して、プラスティックボトルを浮かせてから、ボヤジアンさんがいる居間へ行きました。

「警戒厳重なビルだったでしょう。警備員に怪しまれませんでしたか?」と、ボヤジアンさんに聞かれます。

「おのぼりさんの若い女性は、怪しまれなかったですよ。」と答えました。

「幸いな事にね。」声がする方を見ると、ベイジョーの制服を着たオドーが、不機嫌そうな顔で立っていました。

「ELIMさん、ゴミ箱に捨てるなんてひどいですよ。」仏頂面で、保安チーフは言います。

「空のプラスティックボトルが一番目立たないのは、ゴミ箱の中でしょう?怪しまれた方が良かったですか?」と答えると、

「それはそうですけどね。」と言いながらオドーは椅子に座りました。

「何かいい情報はありましたか?」と尋ねると、

「どちらかと言うと、悪い情報ですね。最上階の奥の部屋に、この事件の首謀者らしい男の部屋がありました。その男が送っている通信を見たのですが、どうも麻薬精製工場は、惑星上の各地に散らばって5〜6箇所あるらしいのです。一斉に摘発するのは難しいですね。」

「そうですか。」

「もっと悪い情報が有ります。彼らは新しいビジネスを考えているらしいのです。人造ダイヤの製法を幾つかの企業に提供すると持ちかけて、見返りに莫大な報酬を要求していました。」と、保安チーフから聞いた時、私の頭を悪い予感が走り抜けました。

「保安チーフ、その企業の名前を覚えていますか?」

「覚えていますよ。」と言って、保安チーフが言う名前をメモに書き留めて、下に向かいました。

「あら、帰っていたの?」とルテさんに声を掛けられます。

「ええ、ちょっとコンピューターネットで調べたい事があったものですから。」と答えて、コンピューターに向かいました。検索の結果は、思った通りでした。

急いでボヤジアンさんの部屋に帰り、

「大変です、下手をするとこの星は世界大戦になりますよ。」と言いました。

「どういう事ですか?」

「連中がダイヤの製法を売ろうとしているのは、全部軍需産業の会社なのです。」

「それを資金源にして、兵器の大量生産をするかもしれない、ということですか?」と、ボヤジアンさんに聞かれます。

「そんな甘いものじゃありません。保安チーフ、レーザー兵器に必要なのは何だかご存知ですか?」

「安定した動力源と、大きくて透明度の高いレンズ・・そうか、ダイヤをレンズに使うつもりなんだ!よく気が付きましたね、ELIMさん。」

「というか、私の世界の軍事関係者が、血眼になって大きいダイヤを作ろうとしているのでね。保安チーフ、早く手を打たないと大変な事になりますよ。」

「しかし、ここまで事態が大きくなると、我々だけでは手に負えません。」と、オドー保安チーフは言います。

 それから40分間位、善後策を色々と話し合ったのですが、はかばかしい結果は出ません。

煮詰まってしまって、全員が無言になった時に、

「エルさん、ボヤージさん、お茶にしませんか?」というルテさんの声が、下から聞こえました。

「行って来るといい、気分転換になりますからね。」とオドー保安チーフが言うので、私達は下に下りて、食堂に行きました。テーブルには、美味しそうな焼き色の付いたお菓子と、薄いブルーのお茶が入ったカップが並んでいました。

「どうしたの?2人とも暗い表情ね。」

「ジュエリーが思った程売れなかったものですから。」ボヤジアンさんが言います。

「私は調査が行き詰まってしまって。」と、私は言いました。

「大変ね。お菓子とお茶を食べて、また頑張ってちょうだい。努力していれば、必ずいい結果が出ますよ。さあ、召し上がれ。」

お菓子は、甘酸っぱいドライフルーツが入った焼き菓子で、ほっとする味でした。

出された果物の香りがするお茶に砂糖を入れて飲むと、気分が良くなってきました。

「有難う御座いました。お陰で気分が良くなりました。」お茶とお菓子を食べ終わってからルテさんにお礼を言うと、

「お役に立てて良かったわ。」と言いながら、ティーセットを片付け始めました。その姿を見ている時に、一つのアイディアが閃きました。

「本当に有難う御座いました、ルテさん。」と重ねてお礼を言って、急いで階段を上ります。

「どうしたんですか?」と聞くボヤジアンさんに、

「思いついた事があるのです。30分後にそちらに伺いますから。」と言って、自分の部屋に帰り、計画書を書きました。30分後に、私は仕上がった計画書を持ってボヤジアンさんの部屋のドアを開けました。

「いいアイディアを思いついたようですね、ELIMさん。」オドー保安チーフは言います。

「はい、このような場合には、犯罪組織のメンバーに自発的にこの星から出て行って貰うのが最善だと考えられます。」と私が言うと、

「まさか。」とボヤジアンさんは言いました。

「ELIMさん、連中が金の成る木を置いて出て行く訳がないでしょう。」オドーも言います。

「命の危険があれば別でしょう。金で命は買えませんからね。」と言って、私はにわか作りの計画書を見せました。

「この計画では、『バハラ』の協力が要ります。コンピューターウィルスを2種類作って貰わないといけません。」

「実に危険な計画ですね。」計画書を読み終わった保安チーフは言って、書類をボヤジアンさんに回しました。

「しかし、この計画なら麻薬の精製工場も組織も一度に無くせますし、失敗しても10人以下の死者しか出さずに済むでしょう。」

「しかし、これは貴女のリスクが大きすぎます。」計画書を読んだボヤジアンさんも言いました。

「このまま放置すれば、億単位でこの星の人達が死ぬかもしれません。少しくらいのリスクは犯さなくてはいけませんよ。もっとも、上官であるオドー保安チーフが許可を下さればですがね。」

「許可しましょう、ELIMさん。」保安チーフは言いました。

「私はあまり乗り気ではないのですが、これ以上いい方法を思いつかないのでね。」

「有難う御座います、保安チーフ。」

「ウィルスは今日中に作らせます。明日の早朝に、ボヤジアンを変装させて私をビルまで運ばせ、私が連中のコンピューターにウィルスを入れてきます。貴女の出番は、明日の午後になりますね。」

「分かりました。では、小道具を買いに行って来ます。」と言って、私は部屋を出ました。

「ちょっと行ってきます。」とルテさんに声を掛け、そのまま街に出ました。

化粧品店で、演劇用の緑のファンデーションを買い、ネット喫茶で名刺を作り、ジュエリーの露店に図案を描いて銀のイヤーカフをオーダーしました。簡単な物だったので1時間程で仕上がり、自分の耳に合わせて調節して貰ってから、ペンションに帰りました。

 その日の夕食は、鳥肉のハーブローストでした。

「鳥の肉は頭が疲れている時にいいって、私の部族では言われているのよ。」と、ルテさんは言います。その晩のデザートがとても美味しかったのでルテさんにそう言うと、

「これはズクーリと言って、私の部族の伝統的なお菓子なの。褒めてくれて嬉しいわ。作り方を知りたい?」と言われました。

「是非教えて欲しいですが、今日はちょっと調べた事をまとめたいので。明日の夜にお願いできないでしょうか?」

「いいわよ。準備をしておくから、ハンフという果物を5〜6個、市場で買ってきてね。」

「分かりました。」

その晩は、頭が一杯になるまでイメージトレーニングをしてから休みました。

#10 作戦開始!

次の朝は、ルテさんのお弁当を持って、街に出ました。公園のベンチで2時間ほどイメージトレーニングの続きをしながら、ウィルスの「感染」を待ちました。それから、市場でハンフを買って、持っていた袋に入れて貰いました。別の公園のベンチでお弁当を食べて、公衆トイレに入り、緑のリキッドファンデーションを顔と手に塗ってから、肌色のパウダーファンデーションをはたきました。それから昨日作ったイヤーカフを耳に付け、腰帯にナイフを挟んでから、犯罪者の本拠地のあるバプルビルディングに向かいました。

エレベーターで最上階に行き、そこにいた受付嬢に、

「ネイグ貿易の社長さんにお会いしたいのですが。」と言いました。

「アポイントを取っておいでですか?」と聞かれたので、

「この名刺を見れば、会っていただけると思いますよ。」と答えて、昨日ネット喫茶で作った、「惑星連邦軍セクション31 エージェント グリーンティ」と書いてある名刺を渡しました。受付嬢は、疑わしげにこちらを見てから、奥の部屋に入りました。1分後に受付嬢は驚いた顔をして戻ってきました。

「社長がお会いになるそうです。」と言うので、案内に従って奥の部屋に入りました。

部屋に入ると、屈強そうな男性が3人いて、そのうちの1人が、

「社長は2人きりでお会いしたいそうです。念のためにボディーチェックを受けて頂きます。」と言って、金属探知機を持ち出しました。結果は勿論白です。

「そのナイフは?」と、別の男性が聞きます。

「これですか?エウア族の女性の間では、模造のナイフを持つのが流行っているのです。ほら、刃はプラスティックですよ。」と答えて、私はナイフを抜き、プラスティックの白い刃を見せました。

「それなら結構です。お通り下さい。」と言われたので、私は奥の部屋のドアをノックしました。

「お入りください。」という低い男性の声が聞こえたので、

「失礼致します。」と答えて、中に入りました。細身でがっちりした体格の男性が、立ち上がって出迎えてくれます。

「ようこそ、アーモンへ。」と言って右手を差し出すので、

「na-pri yoten!」と答えて、ひるんだところで右の肘をつかむカーデシア式の握手をしました。つかんだ肘はお風呂のように熱くて、この人はカーデシア人だとはっきり分かりました。

「マスクを脱いだら如何ですか?カーデシアの方は暑さに強いとは聞いていますが、鬱陶しいでしょう?」と声を掛けると、相手は不適な笑いを浮かべて、マスクを一気に剥ぎ取りました。マスクの下からは、灰色がかった白色で、額に隆起のあるカーデシア人の顔が現れました。

「改めて自己紹介させて頂きます。私は惑星連邦軍セクション31所属のエージェントで、コードネームをグリーンティと言います。荷物を置いてもいいですか?」と聞くと、

「どうぞ、そちらのソファーに置いて下さい。」と、ネイグ貿易の社長は答えました。

「お座りください。」とソファーを勧められたので、荷物の隣りに座ると、社長は向かい側に腰を下ろしました。

「私も自己紹介させて頂きます。私はネイグ貿易の責任者で、フランシス・ドレイクという者です。こちらには、どういった御用向きで来られたのですか?」

「私がここに来たのは、惑星連邦を代表して、貴方にメッセージをお伝えする為です。」と言うと、

「謹んでお伺いしましょう。その前に、飲み物は如何ですか?上物のロミュラン・エールが有りますよ。」

「いえ、用件が終ってからご馳走になります。貴方もお忙しいでしょうから、連邦からのメッセージを要約して伝えますね。では、言います。『貴方がなさっている事は、ベイジョーとアーモンの人達にとって、大変迷惑です。大至急、この星から荷物をまとめて出て行って下さい。』です。」

「本当に要約しましたね。しかし、私が素直に『はい、そうですか。』と言うと思いますか?」

面白そうな顔で、ドレイク氏は言いました。

「勿論、連邦もそこまで甘くはありません。私は、貴方との交渉を命令されています。」

「私が何をしたって言うんですか?」

「ベイジョーのパッキング材でアーモン向けの麻薬を作り、アーモンのただみたいに安いビーズでベイジョー向けの麻薬を作って、両方の星に流しているでしょう。私も55年生きていますが、こんなに悪質な相互貿易の話を聞いたのは初めてですよ。」

「55年?貴女はどう見ても20代・・・」と言ったドレイク氏は、私の肌の色を見るとはっとして、「貴女はヴァルカノイドとの混血ですか。」と言いました。

「口の悪い友達は、ハッチ・ポッチ(ごった煮)と呼びます。外見が9割方父親に似ているお陰で、連邦でも不自由なく暮らせますけれどね。話は変りますが、連邦は今の所、カーデシアとの関係を悪くしたくはありません。ですから、貴方がこの星から完全撤退して下されば、この後カーデシアにもベイジョーにも通報しないで見逃してあげましょう。これが、こちらが提示できる条件です。」

ドレイク氏はひとしきり笑ってから、

「連邦も酷ですね。貴女みたいなお嬢さんに、こんな出来もしない仕事を言いつけるとは。」と言って、金庫を開けました。

「貴女が出来なかった仕事で差し引かれる給料位はあるでしょう?お納め下さい。」と言って、テーブルの上にラチナムのインゴットを2つ置きました。

「こんな物に全く興味は有りませんね。私は生まれてから一度もお金に困った事は有りませんから。」勤めて冷たい口調で、私は言いました。

「しかし、諜報機関の給料はどこも安い筈ですよ。私もオーダーにいたから知っているのですがね。」

この言葉を聞いて、私は内心ではぞっとしましたが、(ここで私は、「ネイグ」という単語は、カンダ語で「黒曜石」だという事を思い出しました。つまり、「オブシディアン」です。)

平静を装って、

「貴方はロミュランにいらした事があるようですね。ひょっとして、シーラお姉さまを御存知ではありませんか?」と、聞き返しました。(ここで引き返す訳にはいきません。)

「シーラお姉さま?メルデト将軍の娘のシーラですか?」表情を固くして、ドレイク氏は聞きました。

「そうです。やはりご存知でしたね。お姉さまはお元気でしたか?」と私は答えて、愛想のいい笑顔を浮かべてみせました。

「彼女とはどういう関係ですか?」

「私の祖父と、お姉さまの父上が昔からのお友達で、私たちはロミュランの別荘地でよく一緒に遊びましたよ。耳にアタッチメントを着けてですけれどね。」

「それは嘘ですね。」余裕の笑みを取り戻して、ドレイク氏は言います。

「ロミュランの高官で、地球人との混血の孫がいる方の話なんか、聞いた事が有りませんから。」

「異星人と結婚してロミュラン星を出た政府高官の娘の話は、聞いた事が有るでしょう?それが私の母ですよ。」と答えると、再びドレイク氏の顔が硬直しました。

「それにしても、女性に送るには無粋な代物ですね。おなじカーデシアの方でも、DS9の仕立屋さんから貰ったプレゼントの方が、よほど嬉しかったですよ。今付けているイヤーカフがそうです。ほら、カーデシアの波模様でしょう?就職祝いなんですよ。」

「貴方はガラックとも知り合いなのですか?」ドレイク氏の声まで硬くなってきました。

「彼とは兄弟弟子ですよ。」と私が答えると、

「それこそ冗談でしょう?オーダーの長がロミュランの部下を持ったなんて、私は聞いていませんよ。」ドレイク氏は、引きつった笑みを浮かべました。

「勘違いなさらないで下さい。テインは私のグルメの師匠ですよ。私は両親と一緒に彼と会食する機会が有りましてね。その時に意気投合して、『よし、私が貴女にカーデシアの粋を教えてあげよう。』と言って下さったのです。色々なお店に連れて行って下さって、沢山の方に紹介して下さいました。みんな楽しいおじさまやおばさま方でしたよ。」

「元オーダーの長を、呼び捨てにしていいと思っているのですか?」ドレイク氏が、探りを入れてきます。

「テインは、敬称や役職を付けて呼ばれるのは大嫌いだったじゃないですか。『どんな役職に就こうが、私がテインである事に変りは無い』と仰ってね。」とカーデシア人しか知らない(と思われている)事を答えると、ドレイク氏の血色がだんだん悪くなって来るのが分かりました。

「お疑いのようなら、テインの気に入りの店とカクテルの名前を言いましょうか?テインのお気に入りの店は、『エドシアン・オーキッド』で、お気に入りのカクテルは『環境問題』でした。」と私が止めを刺すと、ドレイク氏は私の言った事を完全に信じ込んだようです。

「話を戻しますが、貴方が私の条件を呑まなかった場合には、選択肢が3つ有ります。」と私が言うと、

「伺いましょう。」と居住まいを正して、ドレイク氏は答えました。

「この場で死ぬか、明日の朝までに死ぬか、何年か後に考えうる限りの悲惨な死に方をするか、です。」

「どういう事か、説明して頂けますか?」

「まず最初に、貴方が私の申し出を拒否した場合には、私が貴方を殺そうと試みます。」と言って、私は素早く腰帯のナイフを抜き放ちました。

「恐らく、この組織の全貌を知っているのは貴方だけでしょうから、貴方を殺せば、組織は崩壊しますからね。このプラスティックナイフは、連邦製です。充分な殺傷能力が有りますよ。」

「冗談は止めて下さい。私は懐にフェイザ−を持っています。ナイフで太刀打ち出来るとお思いですか?」

「貴方にとって残念な事に、このナイフはスペツナズ・タイプですからね。」

「スペツナズ・タイプについて、説明して頂けますか?」再び余裕の表情を見せて、ドレイク氏は言いました。

「ボタンを押すと、刃先が飛び出すタイプのナイフですよ。」

「そうだとしても、プラスティックの刃では、軽くて刺さりませんよ。」人を馬鹿にしたような顔で、ドレイク氏は続けます。

「ご心配なく。刃の中には重い液体が入っていますから、貴方の体を突き抜けて後ろの壁に刺さりますよ。」と言うと、ドレイク氏の顔が再び引きつりました。

「そして貴方にとって更に不幸な事に、私はカーデシア人と格闘した経験が有って、急所を良く知っているのです。」と言って、私は右胸の上をナイフで指し示しました。

「例えば、ここ。カーデシアの方の動脈が集まっている所です。ナイフが刺さったら、さぞかし盛大に血が噴き出すでしょうね。」

「そんな事をしても、連邦は貴女の服のクリーニング代を払ってはくれませんよ。連邦の士官が、任務の為に人殺しをするような真似が出来るとは思えませんね。」脂汗を流しながら、ドレイク氏は言いました。

「私はね、常々カーデシア人の血の色をした服を着てみたいと思っていたのです。それに、今ロミュランでは、スパッタリング模様が流行っています。祖母は私にいつもお洒落をしなさいと言っていますから、貴方の血を浴びた服を着て行ったら、喜ぶかもしれませんね。

確かに、地球人の連邦士官なら貴方を殺すのをためらうかも知れませんが、私はセクション31に勤務している人間で、ロミュランとのハッチ・ポッチです。普通の連邦士官のように振舞う確率はどれ位有るとお思いですか?」と答えると、ドレイク氏の顔に浮ぶ脂汗の量は、さらに増えました。

「話を続けてもいいですか?」と念を押すと、ドレイク氏は黙って頷きました。

「貴方を殺すのに失敗したとしても、次善策を取っています。私は部下に命じて、このビルのコンピューターにウィルスを入れさせました。私の生命反応をモニターして、異変があった場合には、ビルの出入り口が全てロックされて、空調がビル内の温度をセルシウス温度で0℃、ロミュランの温度単位では、−90メラクルまで下げる事になっているのです。

貴方は話し方からすると、商業階級の方のようですね。カーデシア商業階級の温度単位に換算すると、何度位になりましたっけ?」と聞くと、

「考えたくもない温度ですから、換算しなくても結構です。」という返事が返ってきました。

「私は念の為に厚着をして来ましたし、地球人とのハーフですから、重傷を負っていたとしても助かる確率が有ります。しかし、このビルの中にいらっしゃるカーデシアの方は、5時間以内に凍死なさるでしょうね。」ドレイク氏の顔が、ますます固くなりました。

「話を続けますと、貴方が万一ビルから逃げられたとしても、助かりません。私はこの任務に就く前に、祖父と婚約者に手紙を書いて来ました。私はこれから危険な任務に就くので、万一の場合には然るべき措置を取って欲しい、とね。私の祖父は私が肺炎をこじらせた時の医者を、免許剥奪して追放しようとした人ですし、テケニーはやると言ったらやる人です。貴方の助かる見込みは有りませんよ。」

「テケニー?貴女の婚約者はカーデシア人なのですか?」ドレイク氏に聞かれます。

「そうですよ。私達は、テインの紹介で知り合いました。『君たちは話が合いそうだから。』と、テインは仰いましてね。その通りでしたよ。付き合って2ヶ月で、求婚されました。あの時は驚きましたよ。彼の部屋で雑誌を読んでいたら、いきなり目の前に膝をつかれて、古代ヴァラガシ語で求婚の文言を言われましたからね。」

「貴女の話の中でも、それだけは嘘ですね。」冷たい笑いを浮かべながら、ドレイク氏は言いました。

「カーデシア人が、ロミュランに求婚する筈が無いでしょう?カーデシアに住めなくなってしまいますよ。」

「奇遇ですね、私もテケニーに求婚された時にそう言ったんですよ。そうしたら彼は、『カーデシアで暮らせなくなっても構わないから、君と一緒に暮らしたい』と言ってくれましてね。で、私は彼の求婚を受けてしまいました。結婚した後は、リセピアで暮らす予定です。私もテケニーも、その程度で仕事に困るような能無しではありませんからね。先日、家探しもして来たのですよ。ああ、済みません。人の惚気話なんて、退屈ですよね。」

「良く分かりました、ミス・グリーンティ。」と、ドレイク氏は言いました。

「貴女の提案を受けて、この惑星から完全撤退しましょう。この会見の後で通報しないという件は、確約して頂けますね?」

「勿論、私のロミュラン人の母親の名にかけてお約束致します。」と言うと、ドレイク氏は通信機に向かいました。カーデシア語で、次々と指示を出します。30分後に、私の方に向き直って、

「それでは、ここから転送で失礼させて頂きます。」と、ドレイク氏は言いました。

「待って下さい、ドレイクさん。」と、私が言うと彼はぎょっとします。

「まだ何か?」

「ロミュラン・エールを一杯置いていって下さい。勧めて下さった物を受けないのは、ロミュランの礼儀に反しますからね。」

「壜ごと置いて行って差し上げますよ。」と言い捨てると、ドレイク氏は手首の通信機を叩いて、カーデシア語で命令しました。彼の姿が、目の前で非実体化していきます。

ドレイク氏の姿が完全に消えたのを確認してから、私はパスワードをコンピューターに入力して、2つのウィルスを無効にしました。それから、ハンフを全部袋から取り出して、袋をドレイク氏の座っていたソファーに置きました。

「楽になさって下さい、オドー保安チーフ。」と声を掛けると、私の後ろで重い液体が動く音がします。

「もういいですよ。」という声がしたので、振り返ると保安チーフがソファーに座っていました。

「上手く行きましたね。」と私は言いました。

オドーはため息をついてから、

「私は、今日ほど自分が流動体生物で良かったと思った事はありません。心臓を持った種族だったら、貴女の甚だしく事実に反する作り話のせいで、心臓麻痺を起こしたでしょうからね。」と言います。

「上手く行きましたから、良かったじゃないですか。」と私が答えた時に、コンピューターから亜空間通信の呼び出し音が聞こえました。

オドーは立ち上がって通信回線を開き、「オドーだ。」とベイジョー語で答えました。

コンピューターの向こうから、ベイジョー語の報告が聞こえますが、私の語学力では聞き取れません。報告が終わり、オドーが通信回線を一旦閉じて、私の方へ向き直りました。

「ドレイク達の船を、『バハラ』と他2隻のベイジョー艦で捕らえたそうです。」と、私に説明してくれます。

「貴女がドレイクから引き出してくれた証言のお陰で、身柄を拘束出来ます。しかし、良心の呵責は無いのですか、ELIMさん。いえ、グリーンティさんと呼ぶべきですか?」オドーが聞きました。

「良心は全く痛みませんね。私はこの会見の後に通報しないと約束しただけで、事前に通報の手続きを取らないなんて、一言も言っていませんからね。それと、私のコードネームはELIMが本当です。カーデシアの方は律儀ですからね。お礼参りに来られないとも限らないので、偽名を名乗っておいたのです。」

私はオドー保安チーフにお願いして、2つのウィルスをこのビルのコンピューターに感染させました。一つは、ドレイク氏にも話した、ビルをロックして室温を下げるプログラムで、

もう一つは、パネル表示を出さずにビルのモニター設備の音声を全てオンにして、ベイジョーの亜空間通信帯域で放送するプログラムだったのです。つまり、ドレイク氏と私の会話は、全て「バハラ」にモニターされていて、ドレイク氏が麻薬密売を肯定する言動を取った為に、身柄の拘束が可能になったという訳です。

「貴女は母親の名前まで出して約束なさったでしょう。いいんですか?」重ねて保安チーフに聞かれます。

「私には地球人の母親はいますが、ロミュラン人の母親はいませんからね。」と答えると、

「悪質だなあ。」と言って、オドーは頭を振りました。その時に、再びコール音が鳴りました。オドーは再び通信機に向かって、ベイジョー語でやりとりをします。

「ドレイクの船から麻薬の原液が見つかって、現行犯逮捕できたそうです。これで潜入捜査は完了ですね。ご協力を感謝します。」

「私の任務も完了しました。この惑星に『エレイニンの歌う石』を流していた人間は、いなくなりましたからね。では、ペンションに帰りましょうか?」

「袋になって果物を運ぶのは願い下げですよ、ELIMさん。何だって作戦行動の前に果物なんか買ったんですか?」保安チーフは渋い顔で言いました。

「何か目標があった方が、生への執着は強くなるでしょう?作戦の間中、『これを使ってお菓子を作るまで死ねない』って、心の中で呟いていましたからね。」

「ヒューマノイド生命体の食物への執着は、私の理解の範疇外です。」オドーは無表情な顔で言います。

「私は滅多に化粧をしないので、顔が気持悪くて仕方が無いのですが、それも貴方の理解の範疇外でしょうね、オドーさん。」と、私が聞くと、

「いえ、それは私にも理解出来ます。私も固形種になって暫くの間は、服の感触が気持悪くてね。トイレの洗面所で、化粧を落として行かれるといいですよ。」

「そうさせて頂きます。」と言って、私はスカーフでハンフを包み始めました。私の後ろで、オドー保安チーフは姿を変えます。振り返ると、プラスティックボトルがソファーの上に乗っていました。プラスティックボトルとロミュラン・エールのボトルを鞄に入れて、私は部屋を出ました。オフィスの中は、誰もいません。廊下に出て、受付嬢に、

「有難う御座いました、大変有意義な話が出来ました。」と声を掛けて、化粧室でファンデーションを落としてから、ビルを出ました。

#11 ちょっとハードなエピローグ

ペンションに帰ると、

「お帰りなさい、エルさん。調べ物は進んだ?」と、ルテさんが出迎えてくれました。

「はい、ルテさん。今日で全部終りました。明日の朝には発ちますので、料金の精算をお願い致します。」と答えると、

「まあ、そうなの?良かったわね。でも、私はちょっと寂しいわ。貴女にお菓子や料理を教えていると、娘が出来たみたいで楽しかったのよ。」ルテさんは言いました。

「有難う御座います、私も楽しかったです。今度調べ物をする時には、必ず寄らせて頂きますからね。」と言って、私は階段を上りました。

部屋では、ボヤジアンさんが心配そうな表情で待っていました。

「どうでしたか?」と思いつめた表情で聞かれます。

「大成功です。逮捕できたそうですよ。」と私が答えると、ボヤジアンさんの顔に初めて笑みが浮びました。

「戦利品を持ってきましたよ。」と言って、私はプラスティックボトルを椅子の上に置いてから、テーブルの上にロミュラン・エールの壜を置きました。

「それとも、これも証拠品ですか、オドーさん?」と尋ねると、

「飲んでも構いませんよ。」と、ヒューマノイド形態になった保安チーフは言いました。

その晩は、ルテさんがささやかな送別会を開いてくれました。楽しい夕食が終った後、ズクーリの作り方を習ってから、ボヤジアンさんの部屋で潜入捜査終了記念の飲み会をしました。その席で、怪しまれない為に、ボヤジアンさん達は1日後で発つ事が決められました。気持よく体にアルコールが回ったところで、部屋に帰って休みました。

 次の朝、ノックの音で私は目を覚ましました。時計を見ると、ルテさんがお茶を持ってきてくれる時間より15分ほど前です。身支度をしてドアを開けると、ボヤジアンさんが立っていました。

「何かあったのですか?」声を潜めて聞くと、

「チーフの指示で、これを貴女に返しに来ました。」と言って、封筒を渡されました。

開けてみると、イロンの玉が2つ入っています。

「分析に1つ使ってしまいましたが、原液も手に入ったので、これは不要になりました。

21世紀の技術では、この玉から麻薬を作る事は不可能だと薬学者の方も仰いましたし、友達から貰った大事な物だろうから、本人に返すように、とチーフに指示されました。」

「有難う御座いました。オドー保安チーフに宜しく。気をつけてお帰り下さいね。」と挨拶して、部屋の中に入りました。取っておいた皮ひもにイロンの玉を通して、再びペンダントにします。服の下に隠して着けたところで、ルテさんがお茶を持ってきました。

お茶を飲んでいると、ルテさんが小さな箱をテーブルの上に置きます。

「お土産よ、ご家族の方と召し上がってね。」と言って下さるので、私はお礼を述べて受け取りました。

 ペンションでの最後の朝食は、贅沢にもじっくり煮込んだ赤いシチューと、焼きたてのパンと、野菜サラダと、私が昨日作ったズクーリでした。

ゆっくりと味わって食べてから、宿泊代を清算し、ホールにいた他の泊り客の方に挨拶してから、チェックアウトしました。地下鉄とバスを乗り継いで駅に向かい、ヤコン村方面への列車に駆け込み乗車しました。行きと同様に、4時間列車に揺られてヤコン村に着きました。村はずれを大回りしてヤコン村を通過し、ひたすらテクテク歩いて、森の中でルテさんのお弁当を食べて、また歩き、クリスピン博士の住む村に着いた時には、すっかり日が暮れていました。

 クリスピン博士の家のドアをノックすると、奥様が出てきました。

「お帰りなさい、今急患が来ているの。裏口から入って下さい。」と仰るので、勝手口から台所に入りました。私にお茶を出してくれて、

「どうだったの?任務は上手く行きましたか?」と聞いてくれます。

「上出来でしたよ。お土産も持ってきました。」と答えて、ルテさんのお土産の箱を出しました。

「良かったわね。今晩はお祝いにしましょう。」と、奥様は言ってくれます。

急患が帰った後で、地酒と奥様の料理で、ささやかなパーティーを開いてくれました。

パーティーの後で、私はルグレちゃんとルテさん宛てに、暫く行けそうにないという手紙を書いて、クリスピン博士に3日後に出してくれるようにお願いしてから、休みました。

次の朝早く、私は1人でランデブーポイントに向かい、通信を送って、ヴァルカン船に転送収容されました。

ここまでは比較的平穏無事だったのですが、この先がちょっとハードでした。

整形手術を受けて、元の顔に戻れてほっとしたのもつかの間、クシア哲学の勉強時間が、「任務が終って時間が出来たでしょうから。」という理由で行きの倍の1日2時間になり、予復習に追われました。そして、昼食後の時間は、ヒーラ−との食文化研究です。アーモン料理と日本料理について、根掘り葉掘り聞かれました。ヒーラ−は、日本人が外国の料理をすぐ日本料理に「翻訳」してしまう事に、非常に関心を持ったようです。

 そして、空いた時間にラウンジにいると、ヴァルカン人士官の方々が討論を仕掛けてくるのです。ヴァルカン人の方の考え方を知るいい機会だとは思うのですが、非常に密度の濃い論議になってしまうので、かなり疲れました。

ヴァルカン船が月に到着する前の晩に、クシア哲学の講義は終りました。

頭の中がパンクしそうになっていましたが、「地球人は学習能力が高いとは聞いていましたが、これ程とは思いませんでした。貴女はクシア哲学の初級講義を完了しました。」と、艦長が言って下さったので、ほっとしました。

ヒーラ−も、「貴女のお陰で、食文化研究が進みました。」と言って下さったのも、嬉しかったです。

ヴァルカン船からチコ・クレーターのセクション31支部に転送されて、タイム・シップを待つ間の39時間で報告書を書き上げて、PFC支部に送りました。

タイム・シップで21世紀に帰り、S市のビルの地下にある支局に出頭すると、報告書のデータパッドを持ったボスが待っていました。

 流血沙汰を起こさずに任務を果たした件についてはお褒めの言葉を頂きましたが、ルグレちゃんの件ではたっぷり油を絞られました。

 経理部の方からも出頭を要請されていたので出向いてみると、「この装飾品代というのは何ですか?」と聞かれました。任務を果たすための小道具だったと納得して貰う為に、1時間も説明しなければなりませんでした。

 やっと解放されて、S駅の近くまで出てきたときには、もう疲れ果ててげんなりしていました。戦利品のロミュラン・エールを飲む気もしません。

 グリーンマートで、ビゴさんのパンと、「さぼてん」のコロッケと、野菜ジュースを買って、家に帰って夕食にしましょう。2〜3日して、疲れが取れたら、ロミュラン・エールを飲みながら、回想録でも書くとしましょうか。

 次の休暇まで、あと4ヶ月です。

THE END



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